2013年1月31日木曜日

私の還暦過去帳(342)


今日も朝から選挙運動の追い込みで、電話が掛かって来ていました。

今回の大統領の選挙と関連して、地方選挙も同時に行われますので、選挙
の時期になるといつも思い出す人が居ます、その人はだいぶ長い付き合い
がありますが、選挙の時期に、いつもその予測をするのが楽しみのようで
した。
私の知り合いの韓国人の方です。彼は日本で生まれた韓国人で、戦前、
九州の福岡で生まれた人ですが、終戦後、16歳で父親の郷里、韓国に
帰国したと話していました。
サンフランシスコ郊外のベットタウンで、最初は小さなグロサリー店でした
が、今では大きく拡張して、娘夫妻が経営するグロサリー店に手伝いに来
ていましたが、今では夫婦で老人ホームに入居して老後を楽しんでいます。

先日も店で偶然に会いまして、店先で話していましたが、団体旅行でヨーロ
ッパに2週間、夫婦で旅をして来たと話していました。
日本で教育を受けているので、日本語の読み書きも不自由ではありません
し、私達と話す時は日本語で話してくれます。

彼が日本から家族と韓国の郷里に帰って直ぐに、朝鮮戦争が勃発して戦乱
の中で逃げ惑う生活もしたと話していましたが、やはり彼が一番記憶の中で
絶対に忘れられないのは、北からの怒涛のように南下して来た北朝鮮軍の
侵攻で、2日間も僅かな手荷物で南に逃げたという事だったようです。

それも徒歩で昼夜とわず歩いたと話していましたが、日本では軍事教育を
学校でさせられ、韓国に帰ってからは戦乱で逃げ回った事が一番大変だっ
たと話していたが、落ち着いて韓国が成長している時に、サウジアラビア
に韓国企業の仕事で出稼ぎに長期に出ていた様でした。

それは子供の大学教育をさせるのに、大金が要ったからと話していましたが、
建設会社の設計の仕事で、砂漠の何もない所の宿舎での生活は大変だった
様です。
彼がしみじみと、『困ったのよー!酒も女も全部ダメー!』確かに金は残る
けれど、モスラム社会の教義では、アレ・・もダメとなれば、出来るところ
に会社が一週間ぐらいの休暇をとらせてくれた様でした。

本国の韓国郷里に帰国するのは年に1回ぐらいで、それが楽しみで働いて
いた様でした。彼の家族や親戚も世界中に散らばって、アメリカやカナダも、
シンガポールやら、二ユージーランドにも居ると話していたことを聞いて、
日本人より世界に散らばって韓国パワーを発揮していると感じました。

今年、南米旅行でパラグワイの首都アスンションやアルゼンチンのブエノス
で多くの韓国人が根を張り、たくましく生活している様が肌で感じられまし
たが日本人と同様に韓国社会でも、本国に出稼ぎが在ると彼が話していま
した。
日本も変われば、韓国も大きく変化していると思います。

それにしてもアメリカ社会で生活していた、店の看板がハングル文字だけと
言う事も見受けられ、驚かされる事が有ります。

ハワイのオアフ島の田舎で、古い商店の看板日本語文字が、旧文字使い
の古い字体で書かれているのを見るのも驚きですが、韓国のハングルパ
ワーには35年もアメリカに住んでいると、時々もっと驚かされる時が有り
ます。

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