2013年1月16日水曜日

私の還暦過去帳(338)


旅に出て・・・

今回の旅先で出遭った若いカップルが、サンフランシスコを訪ねて来ました。
バックパックを背中に両手にも荷物を下げて、私と待合場所にしていた電車
の駅から降りてきたのを見た時に、私も昔はあんな格好で歩いていたと思い
ました。
しかし、時代は代わり、変化して若者達の思考も時代に洗われて、漂泊の
如き生き様を晒している感じを受けます。

旅先の道すがらに心感じる事は、若いと言う特権に似た行動パターンが一冊
の旅のガイドブックの型にはまり、バイブルの如き『地球の歩き方』を片手
に、目的も、使命も無く、漠然とした道筋に・・・、

『私はこれからどこに行ったら良いのか?』と周りの人々に聞くようなもので
す。

生きるという経済的な裏打ちが欠如して、欠陥商品かレモンの如き物事の考
えとなっている事を感じる時が有ります。

『なぜか・・!』と言う疑問も無く、
『どうして・・!』という質問も無く、

自分の殻と枠にはまり、今まで得た知識の範囲の思考と行動の狭間に挟ま
れて、それにハマリ、固定され概念化された日本人的な思考での解釈、言
語が一ヶ国語と言う、一つだけの言語での主張しか出来ない行動範囲、陸

続きでない島国的義務教育からの固定観念の思考、日本人では、買い物
に国境を超えて歩いて、隣の国に行くと言う事は在りません、アイスクリー
ムを食べに国境を歩いて越え、食べながら帰ってくるという狭い範囲の場所
も在りません。

国境を越えれば使う紙幣から、言葉まで変わることを体験する身近な隣国も
在りません、それぞれに日本と言う島に住んで、海岸線に囲まれ平和な環
境での日本的教育思考が生み出す、旅人の行動パターンと考えます。

チリのサンペドロ・デ・アタカマの街で、ホテルの隣に泊まっていたベルギー
からの若いカップルが英語、フランス語、スペイン語を話して旅しているのを
見て、彼等がイメージする旅の行程が、広い視野での旅となっていると感じ
た事が有ります。
旅の『指差し会話手帳』では食べる、キップを買う、幾らか?、という赤子
的な指数となり、その範囲での旅となっている人も見ました。

その範囲内での自己満足と旅で得る人生展望の視野でも、人それぞれが
違う思考の範囲の満足と思います。

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