2013年1月6日日曜日

私の還暦過去帳(335)


旅に出て・・・、

旅先でフト・・、心休まるお茶の時間が時々欲しくなりました。
お茶といってもペルーではコカ茶が多かった感じです。乾燥したコカ葉を
容器に入れて熱湯を注ぎ、しばらくして飲みます。勿論の事に砂糖を入れる
人も多く居ます。飲み慣れるとクセになるお茶です。

クスコではこれを高山病の予防になると沢山飲んでいた人も居ました。
朝はコーヒーかコカ茶か、どちらかが置いて有りましたが、私はコーヒーを
朝食に飲んで最後にコカ茶を1杯飲んでいました。

ペルーから南に降りてチリに入るとマテ茶を見ました。
壷に似た容器にマテ茶を入れて、そこに熱湯を入れてストローで吸って飲む
やり方です。魔法瓶を側に何度も注ぎ足して飲んでいましたが、これがアル
ゼンチンに入ると、バスの中でもどこでも店先でも飲んで居ます。

それがパラグワイに入るともっと多様なマテ茶の感じでした。
ウスで突いた薬草を混ぜて、冷水で飲んでいました。中には薬草ばかりと
感じるマテ茶でしたが、一度ローカルのバスに乗って3時間ほど離れた田舎
の日本人移住地を訪ねたら、途中、運転手と車掌が先ずバスターミナルを

出て、しばらく走ると、道端に停車して側の店で何か買い入れていますので
バスの窓から見ていたら、それはマテ茶に入れる薬草の様でした。
マテ茶専用の何種類かの薬草らしき物が生の物、乾燥したものと並んで
居ましたが、私が見て分かったのがミントの葉の様なものがありました。

店先の側には小さなウスが置いてあり、若い女性がそこで何かトントンと潰し
ているようでした。それにしても日本の御茶屋の感じです、見ている間に何台
か車も停まりすばやく指定の物を買って行く様でした。
ポットに氷水を入れている様で現地でテレレというマテの飲み物と感じました。

日本人移住地に着いて、宿に荷物を置いて散歩に出たら、お店の前で日本
人の夫婦が仲良くマテ茶を飲み回していました。
私達が挨拶すると側のイスを勧められしばらく話しこんでいました。
近所の道路にはのんびりとニワトリが放し飼いで歩いて餌を探していました。
静かな田舎の農村の移住地を訪ねて、どこか日本の田舎の風景を思い出し
ました。
生活に根ざして生活と切り離せないお茶です、私が学生時代に下宿先が同じ
だった長野県の出身者でしたが、何とか言うと小まめにお茶を入れて、田舎
の実家から送ってきた漬物を出して、『お茶飲んでくれ・・!』と誘ってくれま
した。自家製の味噌の中に入れた、山ごぼうやニンジン、時にはショウガも
入れていました。
沢山の野菜を出して来て、おばあちゃんが作ったという干し柿なども食べた
記憶があります。日本人は移住してもお茶の習慣は無くなりません、必ず時
間となると、『お茶の時間だよー!』と呼んでくれました。
これが無いと元気が出ないと言ってお茶を飲んでいましたが、時にはマテ・コ
シードと言う沸騰したお湯にマテ茶を入れて、お砂糖を入れて飲むお茶もあり
ました。
アルゼンチンの田舎を走るバスの中で、オバサン連中が座席を挟んでマテ茶
を廻し飲みをしていました。その時に魔法瓶に入れたお湯が無くなり、停車し
た休憩所でお湯を買って入れているのが見えました。

何人か並んでいましたので時間が掛かり、運転手に早く乗るように催促され
ていました。しかしおばさん達はゆっくりと話しながらバスまで戻ります、歩き
ながらすでに新しい茶葉に交換したボンベを持って、飲みながら、話しなが
ら戻って来ました。
我々の神経では考えられないのんびりとした事です、バスに戻りイスに座ると
袋から何か出して食べていました。バスが走り出してのんびりと会話しながら
マテ茶を飲む姿を見ながら、アルゼンチンの大パンパの草原を走るバスも、
これも旅の風情と感じていました。

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