2013年1月4日金曜日

第3話、伝説の黄金物語、(41)

 
 移住地のドン、

翌日、日が昇ると早々と牧場主が事務所を訪ねて来た。

地図を前に境界線が赤鉛筆で示され、お互いの水利権も確認して、水
争いも無い様に境を決めてしまった。
司法書士が呼ばれ、正式な書類が作成され、タイプが打たれて申請書
類が出来上がる頃に、移住地からトラックで当事者の移住者と世話役達
が事務所に訪ねて来た。

もう一度境界確認して、お互いに地図の赤線上にサインをして書類に添
付して、登記所に出かけた。
前の日に話を通していたので、登記所では直ぐに予約と言う事で、部屋
に通されてサインの確認が終ると、書類に大きく『受理認可』と言うハン
コが押されて登記が終了した。
富蔵は皆を引き連れて道路を横切ったレストランに席を作ると、皆にコー
ヒーとコニャックを注文して、モレーノも顔を出して、コニャックで乾杯を
した。
牧場主も水利権が十分に自分の土地に残ったので、満足して決められた
境界線を守ると誓ったので、早速、午後から境界線の杭打ち作業をお互
いの立会いの上で行う事に決めた。
その日の午後に、境界線に富蔵達が町から資材と鉄木の杭をトラックに
積み、若い衆を6人ばかり連れて現場に到着すると、すでに牧場主と移
住者達が待っていた。

地図を見ながら測量され、百年は腐らないという鉄木の杭が境に打たれ
て行った。杭の頭には白く石灰が塗られ、目印とされた。

作業が終わり近くなる時に、シュラスコの焼肉が出来たので食べてくれと
牧場主が誘ってくれた。境界線から僅かに離れた木陰で肉が焼かれてい
たが、焼肉にサラダとパンにピンガの酒が用意されていた。

作業が終わり、グラスに酒を充たすと乾杯され、焼肉の宴が開かれたが、
移住地からは握り飯が作られて持ち込まれて来た。
お互いに納得した境界線が出来て、満足した仕事で終った。

最後にお互いが握手して別れたが、円満解決した事に移住地では富蔵に
感謝の言葉を述べて、この日本人移住地の顧問としてこれからも助けて
くれるように頼んで来た。富蔵は快く引き受けて、何かの時は事務所の
モレーノに先ず相談するように話しておいた。

富蔵がサンパウロに帰って、しばらくしてからモレーノが用事で来た時に、
相談の手紙が移住地から託されていた。中を読むと生産した農産物をサ
ンパウロ市場で直接販売出来ないかと言う相談であった。

サンパウロの富蔵の自宅は昔は農産物仲買の倉庫と事務所として営業し
て居たので、モレーノの勧めで、リオ・ベールデからの農産物運送も活発
になり、仲買を入れずに済む取引が生産者の日本人移住地の農家と、
アマンダ兄弟達にも運送業として大きな利益となり、一石で3鳥を撃つ格
好となった。
富蔵は移住地の仲間をサンパウロに連れて来るようにモレーノに頼んでお
いた。数日して、荷物を運んだ帰りの飛行機の便で、サンパウロに三人
の移住地の幹部がモレーノに連れられて来た。

彼等は富蔵のサンパウロ市場の側で大きな倉庫と事務所の付いた自宅
を見て、驚いて居たが、絵美の姉で、市場に勤めるご主人が間に入って、
農産物の取引の詳しい様子を移住地の日本人に教えていた。

3日ばかり移住地から来た彼等がサンパウロに居た間に、全ての交渉が
済まされて契約書も交わされ、先ず米とジャガイモがサンパウロに送られ
てくる事が決まった。

美恵ちゃんのご主人が販売と取引を指導して、営業を見るという事で決ま
り事務所の管理には、先日牧場主に人質になって連れ去られた18歳の
女の子で、雪子と言う名前の子が帳簿を見ることになった。

彼女は日本語もポルトガル語も出来て、現在では上手なソロバンの腕を
活かして移住地の事務所で働いている言う頭の良い子であった。
直ぐに19歳を迎えるという事で、親としても都会での生活をさせることが、
これからの人生に役に立つと考えた様だ。

全ての話がまとまり、雪子ちゃんが富蔵の家に下宿する事になり急に賑や
かになり、絵美も二人の育児に忙しい手伝いをしてくれる雪子に喜んでいた。

何よりも不在の多い富蔵にも安心の人手となって、前の事務所に座って電
話番と看板娘として、数名の従業員を使い、この事業の成功の一つにもな
った居た。

この移住地の直売方式を見て、他の移住地からも販売を委託する話が持
ち込まれて、富蔵の名前が知られるようになって行った。

そして、富蔵の豊富な資金も彼等にその実力を見せ付けていた。毎週、
リオ・ベールデから大型トラックで運ばれてくるジャガイモや米なども、富蔵
の倉庫に来ると市場より安く買えると言う話で直ぐに売れ尽くしていた。

富蔵の家は過去のイタリア人仲買が営業していた以上の繁栄を取り戻して、
倉庫に出入りするトラックもかなりの数にのぼったが、裏の駐車場の広さが
大いに役に立っていた。
事務所の片隅に積まれて居た請求書や伝票なども数年分あり、それを前の
イタリア人仲買の名前の『サンパウロ青果』のままで使い、使用していた。

全てが上手く動き出して、1年もしない内に他の移住地から委託される農
産物で、専門に美恵ちゃんのご主人が全部の取引全般の営業をする様に
なって居た。

時々訪れる絵美の両親である上原氏夫妻が、来るたびに大きくなり、規
模が拡大する富蔵の店を見て、移住地のドンだと言ってくれた。

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