2012年12月25日火曜日

私の還暦過去帳(332)

旅に出て・・・、

それは45日も歩いたのですから、チン談、奇談の話しもありました。
今日はそのチン談のお話です・・・、

私がブエノスに滞在している時でした。ブエノスは私が48年前の若い頃
に長期で滞在して生活をしていましたので、懐かしく知った所も多く9日
間も滞在していました。

スリパッチャ通りのブエノスでも一番賑やかな所から直ぐですので、便利
も良くて少し煩いのですが、前はバス通りで歩いてフロリダ通りまで簡単
に歩いて行け、地下鉄もA線、B、C、D、E 線と5路線に歩いて行け
ますし乗り換えも簡単でした。

噂に聞いていた日本の地下鉄車両の中古が走っていると言う事で、興味
がありました。地下鉄B線は昔の東京、丸の内線を走っていた車両で、ま
だ先頭の運転席の窓には乗務員室と漢字が残っていました。

車両の色も座席も同じで、扇風機に営団地下鉄と書いて在る様な車両で、
また、地下鉄D線では名古屋市営地下鉄東山線の30両ほど走っている
と聞きました。でも実際に乗車してその車両に対面した時は驚きました。

車内のつり革も日本式でベンチの下の座席には消火器と言うサインも見
ました。良く見ると禁煙と日本語でサインがあり、英語も併用して書いて
有りました。地下鉄D線も消火器や、禁煙のサインは同じ物が有りました。
それにしても昔の話ですが最初にブエノスで地下鉄が走った頃に、日本

からブエノスの首都に視察団が来たという話です、驚くなかれ・百年も前
の地下鉄が走っているのです。地下鉄A線です、まだ車両は木製で、ドア
も完全自動ではありません。走行中、ドアが半開きで走っている車両も
有りました。日本では直ぐにTVのニュースか新聞種になる話です。

おおらかなものです・・、見ていたら誰も気にもしていない様子、驚きで
した。B線の車両にはエアコンは無かった様ですが、まさに日本語のチラシ
がぶら下がっていたら、まさにどこかと勘違いすると思います。

ブエノスの市内を歩いていると1880年代の古い建物が残っています。
まるでどこかヨーロッパのフランスか英国と感じます。ブエノスも終わり頃
になり、夜、道端でタンゴの演奏とダンスを踊っているのを見に行きました。
8時過ぎて宿を出てアルゼンチンは夕食が遅いので、ゆっくりです。

歩いてお目当てのレストランを探して夕食を食べ、ぶらぶらフロリダ通りな
どを歩いてから演奏をしている場所を探して見ていました。
週末でかなりの賑わいの通りは、ブラジルからの観光客で溢れていました。
タンゴの演奏がバンドネオンの音で盛り上がり、ダンサーの若い男女が絡み

合い、セクシーなステップと肢体のからみが大勢の観客の声援と拍手を受
けていました。投げられるお金が帽子から溢れていましたが、若い男女の
ダンサー売り出し前の路上ダンスショーと思います。
遅くまで見て、聞いて、満足して11時過ぎです、宿まで歩いての帰りでした。

街灯も有り、ブエノス・センター街の街頭にはポリスも沢山立っていますの
で、ぶらぶら歩いて帰宅していたら、古い建物の歩道も幅が無い様な街角で
す、私らの前に若くも無い男女が、石畳に靴音を響かせて歩いていました。
何か様子がおかしい様で、私も内心用心していました。

その二人は服装も一応はキチンとしており、でも何かそわそわしている感じ
で、私もハテ・・!と感じて見ていたら、薄暗い外灯の光にポタポタと水滴
が歩道を濡らしているのが分かりました。
ポタポタがだんだんと、細長い線となりアレー!と感じてすれ違いましたが、

ここまで書いたら皆様は何と思いますか?

私もその後は仰天の驚きで、一瞬アレー!を通り越して、ギョー!と目を見
開きました。男女のカップルが抱き合い、建物の陰に入り呆然としています。
女性の長いスカートの下から水滴が落ちて、下に水溜りの様になっていました。

私は側のワイフにもその時は話さず、急いで通り過ぎました。
見て見ぬふりです、さっさと早足で過ぎて行きましたが、宿に帰りお茶でも
飲みながらワイフにその事を話すと、何も気が付いてはいませんでした。

私が推察すると、薄暗い道に慌てた用事で来たカップルが、後ろから歩いて
きた我々にチヤンスを逃がして・・、先ほどのハプニングとなったと想像いた
しました。我々が来なかったら建物の陰でスカートを広げて、一件落着と
なっていたと想像いたします。

それにしても私にはその夜は強烈な印象のブエノスとなりましたが、もっと驚
くのはブエノスの高級住宅街の歩道で、犬のウンチがあちこちに落ちていたの
にはいささかゲンナリの印象でした。毎朝、沢山の犬を集めて、散歩に連れて
歩く業者が掃除をしない様でした。

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