2012年12月14日金曜日

私の還暦過去帳(329)

旅に出て・・・、

今回の旅で食に関する事柄を強く感じました。
国、場所、所得階層、季節など自然条件、社会条件などで人間が受ける
あらゆる影響の下、一人の人間が口にする食物の差が、寿命としての一人
の人間の命が決まると感じます。

人が口にする食物が衛生と言う健康の基本的な条件を充たすか?
人が口にする飲み物が健康の基本的な条件を充たすか?

人それぞれに満足感と言う格差が在ることを認識しましたが、その格差の
大きさです。パラグワイの田舎をバスで走っている時に、停車した地方の
町で、バスの窓際に売りに来た食べ物でしたが、ホコリと雑踏の中で、串に
刺した焼肉と、その一番上にはマンジョウカの蒸かした芋が、一切れ付いて
いました。
バスの乗客は何人もそれを買い、食べていました。
私はそれを見て44年前パラグワイの田舎道をバスで走った事を思い出して
居ました。さほど状況が変わっては居なかったのです。

その情景を見る数日前にパラグワイの首都、アスンションのスーパーを見て
居ましたが、アメリカと何も変わる事は在りません、フルーツや肉製品など
はパラグワイの方が品物によっては豊かと感じました。
そして何よりも首都に集中した裕福層の厚さを感じました。

地方の小都市や田舎の小さな町では同じパラグワイでも私が驚くほどの格差
が歴然と残っており、その差を埋める事は難しいと感じる事が有りました。
日本の様に流通経路も規格化され、大量にかつ正確に日本中を一つの枠に
入る様にまとめて在るような市場では、パラグワイなどとの比較は無理と感
じました。
ペルーの田舎地方都市で見た町の広場で開催されている市場が、全ての日
常生活用品や生鮮食料品を賄う重要な場と感じましたが、生活に密着した市
場です、狭い通路を歩き、窓口も狭い店ですが特色在る商品を並べ、専門に
穀物や、肉類、ポテトを並べ、その種類も私が驚くほど有りました。

しかしながら魚類は見かける事は在りませんでした。市場の横で屋台の食堂
が並んでいましたが、現地で収穫する物で、そこで育てた野菜と穀物と肉類
の組み合わせの食べ物が、何百年と続く生活の中に染み付いた食事と感じ、
またその手にする飲み物が、現代社会の象徴的なコカコーラと言うのには驚

きと、そのアメリカ資本の巨大さと、南米を埋め尽くす宣伝の凄さとも重な
り、これが現実の世界と考えていました。
私がバスの中でふと何気なく飲んだ後のボトル水のプラスチック空瓶を見て
いたら、それも同じくコカコーラの製品と知り、現在の世界の生活には個人
的な選択が少なくなり、また出来ない社会と感じました。

限られた地域社会で生きる事は、調理する素材も、またそれ以外の食品も全
て限られた社会に流通する範囲と感じましたが、同じトウモロコシでもその
種類と食べ方、調理の仕方がインカ時代から続く伝統を守り、現代も食べて
いると言う事は、旅に出て田舎の町の生活市場を覗いて良く分かりました。

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