2013年1月9日水曜日

私の還暦過去帳(336)


旅に出て・・・、

今回のパラグワイ訪問で、直に感じた首都アスンションの発展ぶりには、こ
れには少し驚きでした。
ペルーのリマあたりに比べると増しな感じも肌で致します。
広いパラグワイと以前は感じたのですが、道路交通網の整備と共に、何か
狭い感じが致しました。

ローカルのバスも比較できないほどの変わり様で、乗車してくる田舎の農民
も、さすが裸足は居なくなりました。
田舎といってもオートバイが増えたこと、原始林が無くなった事などがバス
の中からでも分かります。

首都のアスンションでは高級車が、ヘー!と驚くほど目に付きます。
それだけ首都に金持ちと、大農場主と、政府役人達が集中していると感じ、
また日系人の会館、センターなどが素晴らしい建物が目に付く事です。

日系シニアも増えたということで、世代交代も加速されている感じを受けま
した。今では日系社会は限られた範囲で、スマートに変身して、組織化さ
れて成熟の時期に入ったと感じます。

それにはパラグワイ社会への日系人の進出の賜物と感じますが、また・・、
70年の歴史を数えるラ・コルメナでは成熟からの敗退?この言葉が当ては
まらないとすると、作物に例えると『熟れ過ぎ』で収穫が見込めないと感じ
ます。
一世は皆、コルメナ社会から引退して、もはや私が訪れた44年前の活気
は見当たらないと思いました。街中の日本人の店の多くは代変わりしていま
したし、中にはその所有者も代わっていました。

街中の日系旅館に宿泊して、朝の散歩で人影まばらな道路を歩くと、ニワ
トリ 達が道路の真ん中を群れて歩いて、餌を探していました。何か、のど
かより、 車も通らない侘しさを感じ、眠った様な町の静けさを直に感じまし
た。
店先でマテ茶をボンベに入れて飲んでいた人と立ち話をしていたら、私も日
本に出稼ぎに行っていたとか・・、考えると根本の理由がXXXのドル建て
融資で首が廻らなくなり、やむなく出稼ぎとなった人が多いのには驚きました。

『高利貸と同じ・・・』と,ぼやいていましたが、陰で悪く言っても、表では
『泣く子と、地主には何とかの話し・、』と言ってその先『はははは・・、』
で終わりでした。

こんなパラグワイの田舎で、日本政府の影響が日系人にも及んでいる事は
これまた驚きでした。これも日本国民の税金なのです。これを運営、維持、
管理 遂行する人達はそんなことは、余り眼中には無い様な感じと聞きました
が、その話はアルゼンチンでも同じことを聞きました。

坂本龍馬の言葉ですが・・・、

国を開らく道は、戦するものは戦い、修行するものは修行し、商法は商法
で・・、
と彼が言いましたが、組織を維持する為の機関では、日本を開き、発展さ
せる道は多角化した人材と多様化した現地に対応と忍耐を維持できる、また
応用が効く頭脳 が必要と思います。
『蛇の道はヘビのみちとか・・』

イギリス人が植民地政策を遂行する過程で、その主たる人物が現地に入り、
現地化した思考で、企画、立案、遂行とその結果としての成果を刈り取るま
で、同じ人物がブレーンとしているという事は、日本の様に短期間の組織人
員移動と基本的な短期プランで損得のみの計画立案と遂行では、真の意味
では本来はその利益と福祉と未来の展望を持てる受益者が、資金の借り入
れで、借金の担保に詰まり高利貸しよりまだ辛い・・、

『何のつもりの融資だったか・・・!』と嘆いていた事は、その様な嘆きを
日本国民の何人の人が理解して、またそれが日本国民の税金で、日本人
や日系人に融資された資金と知る人は数えるぐらいと感じます。

為替差益とその差の拡大が融資と言う条件から外れて、単なる高利貸し的な
存在となって融資先の人々を押しつぶしてしまったと感じられる。

昔も過去も、今の現在も・・・、進行形の姿で日本国民の税金を、本来はそ
の他国に住む、日本人達を発展と幸福と未来を持たせる為の血税ですが、
それを企画、運営、管理、遂行する人間や人物の素質が無いばかりに、単
なる高利貸しに成り下がり、苦しめて、どれだけの日本人が祖国日本に
『棄民の出稼ぎ』と陰口されながら仕事に出たかー!

その様な日本人や日系人は日本での政治力も無く、支持政党も無く、声高
く叫ぶ事も無く、ひたすらに働き、借入金を清算してきた・・・!、

この様な出来事を日本人は知らないし、理解もしてもいない、根本は日本
の底辺を支え、維持して、ひたすらに働いている、または働いた人達も帰
国して自宅の裏庭の木陰でマテ茶など飲みながらではポツリ・・、ポツリと話
してくれるが、表と地頭には沈黙の世界・・・、

これが政策と政治とその運営であれば正に血税が死んでいると思います。

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