2013年1月28日月曜日

私の還暦過去帳(341)


さて、11月4日の大統領選挙が近くなり、マスコミでも接戦となる候補者
の支持率集計に神経を尖らせている。昨日は副大統領の公開討論会が
TVで放映されて、夕方の忙しい時間にTVの前で座り込んでいました。

新しい大統領によって、これからの政治や経済が大きく振れる事もあるから
です。昨日は郵便で投票用紙が来ましたので実感として選挙が間近と言う
感じが致しました。選挙に投票できるのはアメリカ市民で選挙登録をした
人だけです。
税金を払い、子供をアメリカの大地で育てても帰化する事はなく、生涯に
渡って、永住権のグリーンカードのみで過ごしている方も知っています。
何かあると全て、日本から昔、持参した日本の固定観念の解釈でアメリカ
社会を計って批判する人も居ます。

人様々な考え、生き方、人生の道筋を決めている方々が沢山ここにも住ん
で居ますが、これは親の育て方と幼児教育とが本人に大きなインパクトを
与えると思います。
日本人がアメリカに帰化する率が、多種な民族が混同する中で最低と聞き
ましたが、それだけ日本人が民族的な閉鎖的思考がDNAとなって体細胞
に根ざしていると思います。

私が集団で開催されたアメリカ市民帰化宣誓式に出席した時に実感として、
そこの係りが、見上る様な巨大な宣誓式会場のホールを埋めた満員の
参加者の中に10名も居ないと話していました事を聞いて、広大な式典会場
を改めて見回した覚えが有ります。

後で聞いたら7名ぐらいだったと覚えています。

宣誓式の会場はまず、アメリカの星条旗を先頭に入場式から開始されます、
アメリカ国歌が斉唱され、お祝いの言葉の後に代表者の男女が国旗を手に
会場の全ての参加者達と、立ち上げって唱和しながら宣誓は終了いたします。

その後に永らく持ち歩いたグリーンカードと交換で帰化証明が交付され、
小さなアメリカ国旗がお土産に渡されます。

式典終了と同時に家族で抱き合い、キスを交わす者、涙する者、がっポーズ
で記念写真を撮影する者。
帰化証明証を頭の上にかざして飛び跳ねて喜ぶ者。
手押し車に乗せられ年寄りが花束を手に車椅子を子供に押されてハンカチで
涙を拭きながら歩いて来る姿など、様々な画面と、光景が有りました。

会場の前にデスクを置いて、アメリカパスポート出張申請に早速に用意した
書類と写真を出して申請するヒスパニックの若い男女、まさに新しいアメリカ
市民誕生の姿でした。

私が10年以上も前に、アメリカに帰化したと言うと、
『お前は日本を捨てた・・』とか言う人もいますが、こちらがびっくり致します。

だいぶ前、10年目のパスポート最新となり、先日メールで新しいパスポート
が送って来ました。
10年など早い物です・・・、中には日本人が帰化市民となっても、

それと帰化しても、まったくそれを隠して日本のパスポートを捨てる事無く、
いかにして日本のパスポートを維持して所持するかと、その方法に頭悩まし
て、その裏を何とか探して、いつまでも日本人でありたいという願望で、
キュ、キュー!としている人も居ます。

私にしたらそんな努力をするのであれば、アメリカに帰化などしなければ良い
と思いますが、祖国を捨て切れぬ未練と思います。

また、帰化して『私は二重国籍者になった・・!』とか話している方が居ま
す。現在の日本の法律では、帰化市民の日本国籍との重国籍は認めてい
ません。

帰化市民となった時点でパスポートは一つなのです。
私はサンフランシスコのコルマ日本人墓地に自分の墓も造り、43年以上
も前に未熟児で早世した息子の遺骨も日本から当地に連れて来て、その墓
に埋葬しています。
この歳で何も迷いは在りませんが、まだ母親が健在で、元気で祖国日本に
生きていると言うことで、いつも日本に目が向いています。
そして時々訪ねて行きます。

薄れつつある祖国の幼かりし頃の思い出など、全てが様変わりとなり、面
影も消えて何かわびしい感じが致しますが、60年前の家屋も少なくなり郷
里の町を訪ねても、自分の歳を実感させられる心が致します。

今年も月末に96歳の母を訪ねる事を楽しみに用意いたしております。

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