2013年1月24日木曜日

私の還暦過去帳(340)


年寄りの独断と偏見で世相を切るー!


日本は政治の貧困で国体が弱体になっていると、外国からの批判があるが、
それは本当の事と感じるようになりました。

安部、福田と続けて2度も政権放棄、分かりやすく言えば、投げ出しと
も言える日本の政治権力トップの未熟さ・・、幼稚さ、親の七光りに輝い
て、これまで一度ともその日の食に困り、地を這うようにして働いたこと
も無い、坊ちゃん育ち・・、

本音とたてまえを使い、決して日本の心底からを光を当てる政治をしよう
としない、政治家は本音は隠して、蓋をして、二枚舌を使い、
愛想良く、奇麗事を話し、責任感なく、まさに外側だけの外面を維持する
事にキュウキュウとしている。

一度でも本音を口滑らせると、『言葉狩りー!』と言う何癖や、いちゃも
んを付けられ、袋叩きに合い、政治の世界では生きる隙間もない・・・、
それの尻馬に乗る新聞各社とマスコミ界。奇麗ごとに終始する社会環境。

TVなどではその非難を、まるで発言者にバッシングする様に放送しないと
優良放送局とはならない、まるで狂った世界・・・!、

37年前に日教組が牛耳る小学校で、PTA会費や、その他の費用を銀行振
り込みさせた日教組組織の汚さ、裏で振込みの便宜の為に彼等が裏金や
物品の供与を受けている事を隠して、PTAの父兄幹部を抱きこんで勝手に
決めてしまった。

その銀行に行って、銀行幹部から直接聞いた話は、『預金者獲得のため』
学校の日教組幹部は『子供がお金を失くすから』と来た。

当時、近所の床屋でもその噂話が出ていた様な有様ですが、子供達を人質
にして、自分達の世界と思考で子供の教育を捻じ曲げた。

私は持ち前のへそ曲がりを最大に生かして、我が子の担任の先生に毎月持
参して払っていた。2~3ヶ月は受け取ったが、それ以降は拒否して来た。

『貴方だけ、学校で一人だけ持参するのには対応出来ない・・・』という
事でしたが、私が銀行で聞いた事を、日教組幹部、校長、教頭、担任を前に、

『銀行は預金者獲得の為にお願いした』その件を話した支店長の名前を示し
て切り出した。
慌てたのは日教組幹部と担任の先生でした。

『近所の床屋でも貴方達が裏で銀行から、何がしかの便宜か袖の下を貰い実
行した』ともっぱらの噂だよ・・!と話した途端、慌てて席を立って、
戻ってはこなかった。

その後毎月、息子の学校費をただ一人、校長室に持参していた。

校長は丁重にその持参した金額を確かめて、私が自分で作った通い通帳に
ハンコを押して、受領印としてくれた。

そしてお茶でも如何ですか?と聞いてくれた。

息子は担任の先生に煙たがられ、間接的ないやがらせも受けていた。

『私は何で・・、あんな頑固なへそ曲がりの父兄の担任となったか・・!』
と・・・!

校長先生は、『貴方の様な方があとこの学校に100人いや・・、その様な
人ばかりだったら、日本は大きく変わり変化して行くと・・・』話していた。

私は本音で生きているので、担任の先生に『もしも私の子供に、この件で
嫌がらせなどしたら告訴すると明言した』

あの時の先生の顔を思い出す・・、おそらく、このオヤジだったら間違いなく
やりかねないと直感で感じた様だ・・!

37年前の日本の学校教育は私の信念とかけ離れていた。
詰め込み教育、点取り主義、サラリーマン養成学校、自己主張を殺し、同
じ型と箱の思想でなければ生きて行けない社会とした人間教育。

私がアメリカに移住を決心させた一因でした。
アメリカに移住して子供達が伸び伸びと成長する姿が嬉しかった。

優秀な子供は政府の金で特別クラスでもっと学業を伸ばしてくれ、援助してく
れ、高校で大学のクラスで勉強出来るチャンスを与えてくれ、16歳で学校
の必修科目として運転を習い、自分で働いて車を買い、それを維持して生き
て、成長していく姿にも嬉しかった。

息子に日本では・・・、

『(車に)乗せない、(車を)持たせない、(免許を)取らせない』と言

う3無い運動があると教えると、息子が『アメリカに来て良かったねー!』と
言ってくれた。

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