2013年2月3日日曜日

私の還暦過去帳(343)


田舎時間、
アメリカに来てから、かれこれ35年を経て、歩いてきた道を振り返ると、その
歩いた道が永い様で、また見方によっては何と短かいのだろうと感じます。

今では引退の花道を歩いていますが、毎日が充実しているのか、毎日、仕
事に出て居た頃より、日々の時間が早く通り過ぎて行く感じが致します。

予定を組んで規則正しい生活をしていますが、先日、ふと昔を思い出して考
え込んでいました。
アルゼンチンのサルタ州で田舎の農場で働いていた頃に、仕事に来ていた
インジオ達が時計一つ身に付けていませんでしたが、時刻を感じる事は非
常に正確でした。

時々、農場で働いて居るインジオに、『今何時かー?』と聞きますと、太陽を
見て、ジャングルの木のこずえの先を見て『今は12時30分頃だー!』と言
いますので私の時計で測る正確な時間と、10分も差が有ることは無かった。
まさに体内のリズム時計です。

テレビもラジオも無く、夜暗くなれば寝てしまうという、単調な生活のリズム
の中で、夕食が終わり焚き火の周りに集まり、マテ茶を回し飲みをして静か
な夜の中に、月が出て満月から新月までの動きを、彼等が暦として感じて
いました。

満月には魚釣りは向かないが、新月の時はこんな魚が釣れると言う様な事
が彼等には肌で感じていたようでした。
当時の南米で、ジャングル内の農場ではTVも無く、自家発電装置は小さな
機械で、収穫物の選別作業などで、ベルトコンベアーなどを短時間動かす
動力に使うのみで、中々家中の電源としては小さな発電機でした。

時計もねじ回しで、週に2回、『ギー!』と大きな音でゼンマイを廻していま
した。
夜になると、カタカタと大きな音で、振り子が音を立てている様子が、ベッド
の中からでも感じる響きでした。

その時計に合わせて、農場中に響く音は、鉄道レールを1mぐらいに切った
物をぶら下げてあり、それをハンマーで叩いて『カーン!カーン!』と時刻の
合図を出していました。
何処と無く澄んだ音色が出ていた覚えが有ります。ハンマーの使い方で音
の音色も変化していたようです。ゼンマイ駆動の時計も、時々はラジオの
時刻で調整していました。
農場で働くロバも朝のカネで動き出して、昼のカネが鳴ると、幾ら後わずか
に草取り作業が残っていても、尻を叩かれても、餌がある馬の囲いに、さ
っさと自分で戻っていました。
その後ろをロバ使いがいつも急ぎ足で追いかけて来ていました。

朝早く朝日が、かすかにジャングルの暗さを吹き飛ばす様に、輝きを一瞬
増す様な光がジャングルのこずえから、いつも差し込んで来ていました。
レールが叩かれて、その音が『カーン、カーン!』と響くと、農場出稼ぎ労務
者達が食堂に集まってくる姿を朝もやの中に見ました。

多くの労務者達が独身で、食事を農場の食堂で済ませていましたので、
レールを使ったカネを鳴らすのが先ず一日の幕開けでした。
仕事で町に出て、街中の時刻は教会の鐘が広場一帯に鳴り響いて知らせ
ていました。
私が昼頃に町に出ると町の警察留置所に入っている人間を使って、道路
の清掃をさせていましたので、彼等の何人かが、教会の鐘が鳴ると警官に
見張られながら警察の留置所に並んで戻っていました。

彼等、留置人とすれ違う時に、農場の労務者で、過去に働いていたインジ
オ達でしたら、タバコや菓子などを持っていたら与えていました。
大抵は飲み過ぎて暴れたり、喧嘩したりで留置されている人間が多かった
様です。
一度などは見張りの警官が木陰でチョッとの合間に居眠りして、数名の留
置人達が全員逃げてしまい、何日か道路清掃が出来なかったと聞いた事
が有ります。

警官が肩に下げているライフルも西部劇時代の旧式なウインチエスター・
レバーアクションのライフルで、50mも離れたら絶対命中しないと言う代物
でした。

のんびりとした人口2500名程度の町でしたが、教会の鐘の響きだけは
何処からでも聞こえていました。

48年経って、訪問した時も同じカネが教会の尖塔の上で鳴り響いていました

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