私の還暦過去帳(546)
日本語の面白さ・・、
私もアメリカにかれこれ40年近く住んでいますが、ここは
英語圏の世界ですが、子供達も居た時代は、日本語で話す
事は当たり前で、家庭内では賑やかでした。
子供達も遠くの昔に育ってしまい、今では夫婦二人の生活で
すから、話す言葉も限られて、単語も短く、早く言えば朝起き
て寝るまで、数も知れた言葉で済んでしまいます。
『起きなさいよ・・』とかで始まり、『朝食を食べたらこれを
ゴミに捨てておいて』とかで、ワイフがパートで働いていた時
は、それで出かけて行き、私も仕事に出ていましたので、昼間
は会話無しです。
夕方になり、『夕食だからそろそろ畑の手入れもやめて・・』
とかで食事になりますが、テレビを見ながらの食事ですと、会話
も少なく、段々と話す日本語も退化して、変化も無く、言葉自体
がなんとなく、とんでもない意味の無い言葉で話す事になります。
先日も、『早くそれを持って来て・・』とか言うので、『何を・!』
と言うと、『分って居るでしょう』と来ました。
はて・・!と考えると、まるで会話など必要なく、『阿吽の呼吸』
とかで意味が伝達され、成り立つと感じます。
こうなると益々言葉も少なく、テレビなどは全部英語ですすから、
考える事も英語で考えている事があります。
日本語放送などは、昔は週末に日本語TVの番組が2時間ほど見ら
れたのですが、今ではNHKの英語国際放送を30分程度たまに見る
ぐらいです。
ワイフなどは働いていた職場が、まったくアメリカ社会の地方公務
員でしたので、話す事は全部英語ばかりで、時には英語でとっさに
口先に出る言葉が、英語で出てくる事がありました。
そうなると何か顔だけは日本人ですが、アメリカ的な振る舞いと
併せると、私もおかしくて笑い出す事もありました。
一番良い例は、日本に行き、誰かと話していると、直ぐに『貴方の
話している言葉の意味が時には分らない、』とか言われて、ドキー!
といたします。
話す単語の中に英語が混じり、まったく本人は気がつかなく話して
いたと感じます。そうなると痴呆症的な感じに見られて、少しこち
らも自分ながら呆れていることが在ります。
近頃は歳も進み、誰かまったく知らない人が見て、聞いたら、痴呆の
だいぶ進んだ老夫婦のカップルと間違えられる可能性が出て来ました。
これも仕方がない事だと感じますが、会話が英語とのチャンポンで
日本語に混じり、意味不明の即席日本語的な単語が並びます。
私も40年近く前にアメリカに来たばかりの頃に、まだその当時は
戦前からの一世達が生きていた時代でしたが、何かの事で会話した
日本語が今でも忘れられません、『ユーはミーのジョブをヘルプ出来
れば、ユーのミシンで来てくれるか?』と言う話でした。
通訳すれば、『貴方は私の仕事を手助けできるのであれば、貴方の
自動車で来てくれるか?』と言う意味でした。
白人社会に没して、60年近く英語ばかり話していると、それと若い
頃にアメリカに来て、当地の学校にも少し通学していたので、英語の
世界で生きる以上は日本語が必然的に衰退したと感じます。
これはハワイでも、2世が同じ様な話しぶりで、会話した覚えがあ
ります。私の次男も、何か同じ感じの日本語を話しますが、一応大学
でも日本語を基礎から習っているので、文法的には正しく話している
時がありますが、話す機会が少なく、我が家に来て親と話すぐらいで
すから進歩が余りありません。
昔、ブラジルで会った日本人と黒人との混血の若者が、茨城弁で
急に話を始めたときは驚きました。それも完全な茨城弁で『お前の
話す日本語の言葉は少しおかしいだべ・・・』と来た時には、標準語
を話す私もショックでした。
父親がブラジルで採れたのと、それと周りが茨城県人ばかりで、話す
言葉が偏ってしまったと話していました。
昔から言う様に、時代と所変われば、話す日本語も変化すると思います。