私の還暦過去帳(503)
南米移民過去帳物語、(8)
琉球泡盛女の物語、
私も人生の峠を越して、下り坂の人生を歩いていますが、その終点も見
えて来た様な感じさえ時々いたします。同じ年齢の知人、友人達が亡く
なって行くからです。
今まで見て来た多くの人生の旅路ですれ違って来た方々の思い出も、
私の薄れ行く記憶からしたら、あと数年が限度だと感じます。
これまでの人生の旅路で心に残り、記憶の襞に刻まれた人達と言う人の
話も50年近い歳月が過ぎれば、誰も記憶にあっても書き残す事は少ない
と思います。
私がブエノスで知り合い、会って、話して、人生を精一杯生きている沖縄
女性の生き様を心に感じて記憶していたものですが、数々の人々と同じく、
現在の消息は一切知る事は出来ません、何処かこの地球で元気に生き
ていると思います。
私も頭の記憶だけでは、あと数年もすれば名前さえ思い出すことは無理
と感じています。
ブエノスでの彼女の酒場も、私の農場支配人の仕事で農場が収穫期に
入ると、殆ど立ち寄る事も少なくなり、時々生産物の出荷でブエノスにトラ
ックに同乗して来ても、積荷を降ろして、仲買達と打合わせの話をして、
サルタ州に持ち帰る買い物などしていると、殆ど時間的な猶予も無く、夜
遅くなり、タクシーを飛ばして酒場にたどり着いて、カウンターのイスに座
りビールでも一息付いて飲むのが休憩でした。
大抵の収穫時期は農場労務者達が大勢働いているので、農場の食堂や
売店などで消費する物をブエノスの卸し問屋で物資を安く買い、トラックに
積み込んで持ち帰る事もしていたので、早朝の道が混雑しない内に、そこ
の倉庫前に行くので、サルタから同乗して来た運転手だけが、先に卸し問
屋の倉庫に行く様にしていました。
酒場が午前2時頃に閉めるまで飲んで、のんびりと日本の雰囲気と若い
日本人女性との会話を楽しんでいました。
彼女が私がタクシーで青果市場近くのホテルに行き、そこで少し仮眠して、
卸し問屋の倉庫に7時には行くと言うと、それでは私の所で休んで行きなさ
いと誘ってくれました。
彼女の家から徒歩でも10分で行けるくらいの場所でしたから、私も誘われ
て何か彼女に下心があるのかと感じましたが、酒も飲み、酔っていた勢い
で付いて行きました。
彼女は私をテーブルに座らせると、昼間作っていた軽い夜食を出して来る
と、先に食べて下さいと言うと、着替えていました。
ウイスキーの水割りでも飲みながら、貴方が私の店に来る客で一番遠い
所から来るお客だと笑っていましたが、貴方は時々しか来ないから、私が
突然店から居なくなれば心配かけるかも知れないので、話しておきたいと
言って、彼女の事情を話してくれました。
彼女は私に、『新しくブエノスに住んでいる日本人の恋人が出来て、その
方がブラジルのサンパウロに転勤で移動するので是非とも二人で行きた
いと誘われている』と話していました。
店は同僚が買いたいと話しているので、考え込んでいると言っていました
が、彼女の揺れ動く心を感じていました。
そんな話をしていたら朝の6時近い時刻となり、これから問屋に行く前に
朝食でも軽く食べてから行くのでと、彼女に言うと、『今月の生理が無いの
で、もしかすると・・・!』と改まった態度で私にその事を言うと、『神様の贈
り物は大切にしなければ・・』と話してドアで私に軽くキスをすると、抱き締
めてくれ、『その時は彼に付いてブラジルのサンパウロに行くから・・』と教
えてくれました。
問屋に行くと、相棒の運転手が私が持って来た朝食のクロワッサンのハム
サンドを受け取るとコーヒーを飲みだしました。倉庫のシャッターが開き、
使用人が積荷のリストを見ながら、トラックに荷物を積み込み始めて、私は
その荷物積み込みの検品をしていました。
積荷は食料油や作業着などの衣類品でした。全部搭載するとサルタの農
場に向けて走り出しましたが、運転席の後ろのベッドで、直ぐに心地よい
振動で寝入ってしまいました。
農場に帰ってしばらくして、町の郵便局の私書箱に電報があり、『神様から
の贈り物でした』と一言書いてありました。
次回はアルゼンチンのフォルモッサ州の僻地で、自分の城を作り住んでい
た人の話を書きます。