2024年5月21日火曜日

私の還暦過去帳(789)

現代の結婚の世代、

 結婚なんか二度としたくねぇ!とか言う人も居て、それに『いいね!』とか多数いるとの現状を見ると、お驚きで、いささか今の世の中は狂っていると感じますが、シニアの爺さんの体験談を聞いて考えて下さい。

60年昔に南米に農業移民でパラグワイ国に移住して、若い時に世界漫遊もして見て、聞いて、体験をして居ますので、この話は、アルゼンチンのミッショネス州、ハルデーンアメリカに訪ねた時です。50歳も歳の差で、ポーランド系の若い美人と結婚していた日本人を見た時は、ショックでしたが、ポーランド系の若い美人は14歳で出産して、子供は姉妹の様でしたが、日本人の75歳過ぎた人は心臓発作を起こすと、せっかく築き挙げた店も、独身で家族も居なく、財産も政府に取られてしまうと感じた彼は、両親に掛けあい、全部財産を娘と子供に残すから、俺の嫁にと交渉したところ、両親は二つ返事で了承したと聞きました。彼が『随分頑張ったが、子供は出来なかった』と話してくれました。

ブエノス首都で見ましたが、彼は20代の若者の日本人で、指圧マッサージを生業としていましたが、金持ちの年寄りの未亡人から、どえらく気に入られ、子供も居なく、『私と結婚してくれたら、全ての財産を貴方にあげる・・』と口説かれ彼の指圧マッサージも毎日して貰える事で、年寄りの未亡人から弁護士を通して正式にリビングトラストも貰い結婚していた若者もいましたが、歳の差は45歳ぐらい有った様です。

アルゼンチンのサルタ州で見た人は、戦時中子供抱えて、旦那が戦死して、アルゼンチンの兄弟の所に戦後、呼び寄せられ、ボリビア国境のサルタ州の農場の後妻として嫁入りしていましたが、日本人の男性は戦争中は日本から妻を呼び寄せる事も出来なく、白人のワイフを娶りましたが逃げられて、歳の差があるのも、日本人の子持ちの女性と結婚して仲良く家庭を築き生活していました。奥さんは99歳まで生きて、一度も日本に帰国する事も無くサルタ州で生涯を終えましたが、私が言いたいことは、『人はそれぞれ、愛する事には歳など関係なく、人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死ねばいい・・』と、全部私の人生で体験をしたことを書くと1冊の本になります。