私の還暦過去帳(761)
移住の昔話、(71)
パラグアイ移住者の動向も、今ではその研究と、過去の移動
痕跡を記録に残し、歴史の僅かな1ページを昔話に記す事を
考えています。
また事実は小説より奇なりと言う、特異な記録となる事も有
また事実は小説より奇なりと言う、特異な記録となる事も有
ります。
パラグアイ最初の移住地、ラ・コルメナの歴史をみて、現在
パラグアイ最初の移住地、ラ・コルメナの歴史をみて、現在
の日本人の最初の移住者から、4世までの生き方を見ても、
現在の安定、住民のパラグアイ化で現地に溶けこんだ生活と、
地域社会の重要な役割を担っている日系人と感じます。
コルメナのパラグアイで果した大きな役目は、日本人と言う
コルメナのパラグアイで果した大きな役目は、日本人と言う
存在感を広め、勤勉、実直、向学心などと共に、大和魂と言
う、即ち自制心及び思い遣りや慈しみなど、
「義」、「礼」、「智」、「信」、「忠」、「勇」、「孝」等
と徳目を戦前の移住者が持ち合わせて、苦難の開拓に斧を原
と徳目を戦前の移住者が持ち合わせて、苦難の開拓に斧を原
始林に向けて開発した事を、隣国のボリビアや、アルゼンチン
などが注目していたと言う事です。
この事が戦後のボリビア移住やアルゼンチン移住などの政府
この事が戦後のボリビア移住やアルゼンチン移住などの政府
間協定がスムーズに行ったと感じられます。
フラム移住地の歴史を見ても、入植当時のエンカナシオン市
フラム移住地の歴史を見ても、入植当時のエンカナシオン市
の人口が僅か3万5千人ほどしかなく、短期換金作物の生産物
が溢れて行き詰まっていた時期も有ります。
そのような時期を過ぎて、現在の移住地が有り、移住者が繁栄
そのような時期を過ぎて、現在の移住地が有り、移住者が繁栄
を掴んだのです。
その歴史的事実を反省するとその過度期の生活困窮時代に政府
その歴史的事実を反省するとその過度期の生活困窮時代に政府
の政策として、生活保護的な救済が有ったなら、赤子や若年の
移住地で出生した子供達の命とその養育に親も安心して転住の
ストレスをも抱えることなく、生活して、安住の地を開く事が
出来たと感じます。
パラグアイから転移住して行き、移住地に残され、その移住地
パラグアイから転移住して行き、移住地に残され、その移住地
の土と返った、数々の魂が有ることも忘れてはいけません。
墓地で見た事をここに書き残して置きたい。
(私の還暦過去帳より)
訪れた開拓地の墓標が思い出される。白木の粗末な墓碑に墨で
(私の還暦過去帳より)
訪れた開拓地の墓標が思い出される。白木の粗末な墓碑に墨で
書かれ、名前が雨風に曝されて消えかかって、地面に埋められた
部分はすでに白蟻に食はれた哀れな姿で、熱帯の灼熱の太陽に
さらされて、夏草の茂みに静かに立っているその姿を思い出した。
心痛む事は、沢山の子供の歳を書いた墓標が有る事だった。何
心痛む事は、沢山の子供の歳を書いた墓標が有る事だった。何
も手入れがしてない墓地の片隅に、整然と並ぶ墓標の列は、近
くで鳴く虫の音に、泣き叫ぶ子供の声を聞いた思いだった。
私が訪ねた所は、パラグアイの移住地の墓地で、かなりの人が
私が訪ねた所は、パラグアイの移住地の墓地で、かなりの人が
ブラジルや、アルゼンチンに転移住して、もはやその土地には
家族は誰も住んでいない訪れる人も少ない場所で有った。
しかし、その中で一ヶ所、夏草を綺麗に取り除き、朽ち掛けて
しかし、その中で一ヶ所、夏草を綺麗に取り除き、朽ち掛けて
ぼろぼろになった墓標も側に取り除いてあり、穴を掘った後も
平らにして、その上に花が置いてあった。
墓標の消えかかった文字を見ると、女の子供の名前が有って、
墓標の消えかかった文字を見ると、女の子供の名前が有って、
当年二歳と微かに読めた。
誰か隣国に転移住して、生活が安定したので自分の子供を迎え
誰か隣国に転移住して、生活が安定したので自分の子供を迎え
に来たのだと感じたが、まだ沢山の墓標の姿を見るにつけ、お
そらく遺骨を掘り出しに我が子を迎えに来た人の気持ちが、
子供に対する愛情を感じさせる気がした。
側で鳴く虫達の鳴き声は、数々の子供の墓標の叫び声と感じ
側で鳴く虫達の鳴き声は、数々の子供の墓標の叫び声と感じ
るーー、親を呼び、探している悲しい叫び声と取れた。物言わ
ぬ朽ちた墓標達がその月日の長さを感じ、哀れでならなかった。
次回で最終回と致します。
0 件のコメント:
コメントを投稿
登録 コメントの投稿 [Atom]
<< ホーム