2021年1月9日土曜日

私の還暦過去帳(740)

 移住の昔話、(50)

ペンション滝本にはお手伝いの若い女性がいました。

現地人とドイツ系の混血で、体格も良くよく働く女性で

した。早朝、その女性が私を起こしに来ましたが、バス

の時間が早いので用心に薄暗い時に起こしに来たよう

でした。

早起きしたので、少しペンションの近くを散歩して来ま

したが、舗装道路ではなく石畳の道路で、カロンベーと

言う小型の馬車がタクシー代わりに走り、家の前のポーチ

で、朝のマテ茶をストローで飲んでいる人が居ました。

滝本のおばさんが、アスンション直行の小型バスは速いの

ですが、殆ど未舗装の道路を突っ走るので、車酔いになる

人が多いので、貴方は大丈夫かと聞いてきました。

その話を聞いていたので、朝食は軽くパンとコーヒーにし

ていました。

トイレも途中では休憩時間までが長いので、トイレも汚く

用心して、トイレの紙も用意する様に教えられ、ここは

日本と違う、パラグワイだと言う事を強く教えてくれま

した。

早朝に走り出すので、車には暖房のヒーターも無く、大陸

性の朝に冷え込む気候で、用心にズボン下を穿いていました。

急行バスは、ベンツの小型バスで、ジーゼルエンジンの騒音

が酷い車でした。

バス停に行き、昨日予約をしていたので、前の景色が見える

席に座れ、運転手は2名で発車すると、未舗装の赤土の道を

直ぐに飛ばし始めて、郊外に出ると直ぐに滝本のおばさんが

教えてくれた事が身に染みて分かりました。

道路を畑仕事に行く農夫が、腰にマチェーテの山刀を差し

て、鍬を担いでラバを引いて歩いているのが珍しくて眺めて

いましたが、道路に牛などが居ると大音響の警笛を鳴らし

て、蹴散らして走っている光景に、びっくりとしていま

した。

全てが日本では考えられない風景で、騒音と振動と、未舗

装の道に刻まれた波型のデコボコなど構わず、すっ飛ばす

運転手に驚きと、トラックなどの大型車とすれ違う時も、

スピードも緩めず猛烈な埃を立てて走る車に、度肝を抜か

れていました。

ずっと前の座席に座って見ていると、横道を入り、街道か

ら町に入り乗客を拾う様でしたが、町の入り口に牛除けの

ゲートがあり、スピードも緩めず、警笛を前から鳴らすと、

子供が飛び出して来て、ゲートを開けてくれましたが、

運転手は小銭を紙に巻いてすれ違いざまに、投げ与えてい

ました。

車内では前の座席に掴まっているだけで、街道の土道の波

型になった道路の走行時は、少し腰を浮かせてビーと言う

振動を堪えていました。

私が経験する初めてのドライブで、これがパラグワイと

南米の田舎道だと実感していましたが、これが6時間以上

も続くのですから、滝本のおばさんの注意は当たりでした。

しかし、アマンバイ農協に行き、開拓の現場を訪ねる時に、

が無く、川床をトヨタのランドクルーザーで走行した時

に、計器類が振動で全部壊れていたのにが驚きました。

その時に生まれて初めて4輪駆動車に乗車しましたが、ラン

クルと形容されるブラジル製トヨタの車のタフさには敬意

を表していました。

休憩で停車した時に皆がトイレを我慢していた様で、女性

などは困って居たと感じていました。

物売りが来てオレンジジユースを売って居たのですが、大

型のコップに氷が居れてあるのですが、飲むと氷はそのま

ま、次の人にジュースをその上に注いでいたのには、驚き

と、衛生観念が日本と各段に違う事を見せられ驚愕してい

ました。

ランチ時間になり、食欲も無く、少しチーパーと言うチー

ズパンを買い、水が悪いと言うのでコカ・コーラーを買い

少し食べていました。

舗装道路は全行程で首都アスンションに入る前にやっと舗

装道路になりましたが、その時はやれやれ‥、と言う感じ

で、パラグワイと言う国が、今の日本より35年以上は遅

れていると言う、隈部氏の言葉を思い出していました。

終点のバス停で下車して、少し腰に力が抜けて、ひざが

ガクガクしていました。

次回に続く、






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