2021年1月8日金曜日

私の還暦過去帳(739)

 移住の昔話、(49)

ポサダの町はパラナ河の沿岸にあり、対岸にパラグワイの

エンカナシオンの町が遠望できる所にあります。

今では橋があり、車で混雑して居なければ5分で渡る事が

出来ます。

昔は列車がパラグワイに渡るフエリーボートがあり、ポサダ

から貨車をフェリーの載せてパラグワイ側のエンカナシオン

に陸揚げしていました。

私が乗車していた列車は、故障などで遅れに、遅れてポサダ

に到着してフエリーの順番があり、到着の翌日になりました。

私はバックサックだけの軽装ですから直ぐに人間だけは渡れる

と言う事で、ポサダの駅まで同乗していた人達と下車して、

パラグワイに帰る人がフエリー乗り場まで案内して、同行し

て乗船まで教えてくれました。

パラナ河は川幅2kmほどあり、ゆったりと河船の貨物船が

航海しているのが見え、濁った水がとうとうと流れていました。

パラグワイからアルゼンチンに入国するのには必ずポサダに

出てから、汽車か、バスでブエノスまで出ていましたが、

日本人は渡船でポサダに渡り、列車でブエノスに出て、荷物

は盗まれ無く安い、直行でブエノスに行くトラック便を使っ

ていました。

ポサダはパラグワイとの国境ビジネスの拠点で渡しの船には

数多くの担ぎ屋が乗船して居ました。

アルゼンチン側には税関の係が検査台の前で、検査棒の針金

でテーブルを叩いて、担ぎ屋の荷物を開けて検査している

光景が見られ、衛兵が2名、ゲートの両側に立ってパスポート

か、身分証明証を検査していて、私には荷物検査も無く、

渡し船に乗船する時に、国境警備兵の衛兵にパスポートを見

せるだけで、アルゼンチンから出国で「ハポネス?」と日本人

かと聞かれただけで、パスでした。

長い行程を経て、やっとパラグワイに入国でしたが、移住事

業団、エンカナシオンのパラグワイ現地人の職員が、岸壁に

待っていて、日本人は私だけで、直ぐに分かった様で、声を

掛けてくれ、片言の日本語で、「汽車が遅れて到着したので

この渡し船に乗船して居ると考えて迎えに来た」と教えて

くれ、荷物はバックサックだけだと言うと、他に荷物も無

ければ、「汽車ではアスンションには行かない方が時間の

節約になる」と言って、「明日のアスンション行きの小型

直行バスが朝出るから、今晩はペンション滝本に泊まって

バスで行きなさい」教えてくれ、ペンション滝本まで連

れて行ってくれました。

思いがけない事に、農大先輩が昔の日本海外協会連で仕事

していたので、海外移住事業団の現地職員に頼んで有難

い事に案内を手配してくれていました。

これには大変に助かりまして、直行バスでは半分の時間

で首都まで行けると言う事でした。

ペンション滝本のオナーは、滝本のおばさんと言われる、

肝っ玉のある方で、これまた移住地を捨ててエンカナシ

オンの町でペンションとお店を開いていました。

この宿は日本人には便利で、アルゼンチンの情報や日本

人の動き、荷物の預かりや、受け渡しなども頼めて貴重

でした。

その夜、日本食を食べたいか聞かれて、食事を頼むと、

現地の竹の子を湯がいて、豚肉と醤油で煮込んだおかず

と、味噌汁でした。

その当時のメモ帳にパラグワイ初日を書き残してありま

したが、美味しかったと感想が書いてあり、日本式なお

風呂も浴びて汽車の長旅の疲れを癒していました。

明日のアスンション行きバス停も直ぐ側で、その夜は

安心して熟睡していました。

次回に続く、




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