2020年12月28日月曜日

私の還暦過去帳(729)

 移住の昔話、(39)

翌朝目が覚めて日本人会宿泊所の周りを散歩して歩いて来

ました。カフェー屋で皆が朝食らしき物を 食べているので、

見るとブエノスではメディアルーナと言う、クロワッサンの

パンと、コーヒーか、ミルクコーヒーで食べている人が多

くいました。

大きなお椀ぐらいあるコーヒー茶碗に、給仕がコーヒーと

ミルクのポットを両手に持って、好きなだけの分量を注文

に応じて入れていました。

早朝でまだ食欲が無いので、見るだけでしたが、通りは

全部一方通行で、朝のラッシュアワーが始っていました。

隈部氏が迎えに来て、朝のコーヒーは飲んだかというの

で、まだだと言うと、近くに美味しいコーヒーが飲める所

があると言う事で、ぶらぶらと歩いて見物しながら行きま

したが、ブエノスが南米のパリと言われるのが分かりま

した。

まだ石畳とレンガ造りの建物が並び、その当時の格式の

あるレストランや、カフェーなどはネクタイをしていな

いと入店を断られ、店によってはネクタイが無い人に、店

がこれを使って下さいと、出して来ていました。

隈部氏と行ったカフェー屋は、もちろんの事にネクタイが

必要な店で、イスは革張りで、豪華な調度品が飾られ、格式

ある店で、隈部氏がネクタイを締めて背広が必要と言った

事の意味が分かりました。

昔のブエノスを知る者には、現在のブエノス市内には大きな

貧民街があり、近隣諸国から流れ込んだ経済難民に等しい

人が、ゴミを漁るのを見ると、今では違和感があります。


ボッカの港町にも行き、ここは昔のヨーロッパからの移民

の上陸港だった場所で、イタリア人の町として、タンゴの

リズムが聞こえて来るカンティーナの店がある場所でした。

この町にも沖縄県人の洗濯屋があり、戦前の昔から、沖縄

からペルーや、ブラジル、アルゼンチンに移住して来て、

生活の基礎を作り繁栄している姿を見た感じでした。

私が訪ねて行ったパラグワイとブラジル国境からマットグ

ロッソ州に入った町で沖縄県人が、ブラジルのノロエステ

線、ソロカバナ線の工事敷設労働者として昔に働いた子孫

が居て、沖縄ソバが食べられた事にはお驚きでした。

市内を見て、地下鉄でアバスト中央市場に行きましたが、昼

過ぎで雑踏の混雑は在りませんでしたが、広大な広さがあ

り、どの様な蔬菜類が入荷しているのが分かり、隈部氏が

沖縄県人の市場仲買人を紹介してくれ、一緒にランチを食

べましたが、そこで出されたサラダが、タンポポの葉のサ

ラダには驚きましたが、食用で食べ慣れると、その苦みが癖

になると聞いて、私も食べていました。

仲買の金城氏が私にアルゼンチンの青果取引の概略を説明

してくれ、ボリビア国境のサルタ州、フフイ州からもバナ

ナや熱帯果樹が入荷して、冬のシーズンのピーマンやトマ

ト、ナスなどは全部、北部州から入荷すると説明してくれ

ました。

今ではアバスト青果市場は、首都ブエノスに人口が増え、

都市が拡大して、今では郊外に大きな中央市場が移転して

開かれていて、アバスト市場はショッピングセンターに代

わっています。

金城氏はブラジルからはトマトなど青果がリオグランデ、

ド・スールからトラックで来ると言う事でしたが、パラグ

ワイからは殆ど、ブエノス市場には来ることが無いと話し

いました。

長年の経験がある金城氏の青果取引の話には私には知る事

が沢山あり、有難い話でした。

このアバスト市場に来て、消費人口が首都ブエノスには多く

あり、ブエノス・アイレス州にアルゼンチン人口の5割近い

人間が住んでいると言う事を聞いて、驚くと同時に、金持ち

の上流層が集まり、教育、文化などの欧米社会と繋がりが

あり、消費文化もA-アルゼンチン、B-ブラジル、C-チリーと

ABCの順序で並んでいると聞いて、驚くと同時に、首都に集

まる蔬菜、青果の多くは、ブエノスから近郊衛星都市にトラ

ックで運ばれて行くと聞いて、ブエノス近郊農家の繁栄

分かり、私には今日の見学が、今後の人生目標に最大の収穫

でした。

次回に続く、




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