私の還暦過去帳(722)
移住の昔話、(32)
アフリカ丸に戻ると今日で荷役が終わった様で、船倉の
ハッチ口が閉められて防水キャンバスが張ってあり、奇
麗に掃除してありました。
いよいよ明日はブエノス港目指して出航になる予定です
が、ブエノス港のストライキが、解決しない時は隣の港
のラプラタ港に行くと言う様で、そこからバスでブエノス
まで戻ると言う事でした。
3時のお茶の時間に昨日の出来事をブエノスに行く花卉
実習生の友達に聞くと、バイーヤ州からの彼女と意気投合し
て仲良くなり、アパートに招待され、最後は泊まっていけ
と彼女から言われて、彼も彼女とならと同意してベッドで
彼がコンドームを用意して居たら、彼女から「私は商売女
ではない、私は病気など何も持ってはいない、貴方を信じ
て、良いと思うから貴方に泊まってくれと言ったが、私を
信じても居なく、疑う様な男とは私と泊まる様な事はお断
り」と言われて朝方、船に帰って来たと言う事を話して
いました。
彼は彼女のプライドを傷つけた様だと話していましたが、
男と女が一瞬のすれ違いに、恋を燃やし尽くす事が出来る
人間と、夫婦でも一生涯連れ添っても同居人で終わる人間
も居る様だと話していたことを今でも覚えています。
私は彼にはマリアの話はしませんでしたが、今夜は彼女と
サントス最後の夜を過ごしたいと考えていましたが、彼女
が日本人が好きなポルトガルの魚料理を紹介すると話して
いたので、期待していました。
魚を1匹丸ごと唐揚げして、ピリ辛のオリーブ油とハーブと
トマトにガーリックを降り掛けた料理だと言う事でしたが、
この料理はアルゼンチンでも食べることが出来て、私の好
物になりましたが、最初は彼女から教えてもらった料理で
した。
その夜は船の夕食は遠慮して、魚料理を食べて来ると言っ
て出かけて居ました。
彼女を待っている間に、つい最近まで東京で南米に移住する
まで、世田谷の大学近くの成城に屋敷があった映画監督の住
み込み書生として働いていましたが、華やかな芸能人の世界
を見ていたので、当時の日活映画で石原裕次郎、宍戸錠、
小林旭などの有名スターの映画を撮影して、仲代達也などを
初めて売り出した監督でした。
奥さんは月丘夢二と言う方で、住み込み書生として勤労学生
として働き、休みの時はいつもバックサックを背負い、無銭
旅行をしていた書生時代の3ヵ年間の自分を振り返っていま
した。
その自分が今では南米のブラジルに来て、サントス港のレス
トランに座ってマリアを待っていることを考えると、感慨
深い物がありました。
彼女とは最初に出会った港近くのカフェー屋で待ち合わせ
していましたが、レストランに行くと言う事で少しお洒落
をして来ました。
今でも忘れない小さなレストランでしたが、魚のピリ辛唐
揚げと樽から注いだ白ワインに、サラダにポテトフライと
スープでしたが、庶民的な店で彼女も好きでよく食べに来
ると話していました。
次回に続く、
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