私の還暦過去帳(715)
移住の昔話、(25)
サンパウロに先輩と出て、近郊農業も見て学び、話も聞い
てこれからの大きな参考になりました。
泊まって居た先輩の養鶏所から卵の出荷でサンパウロ市内
に行く車に同乗させて貰い、先輩にサントス港までのバス
路線の番号を聞いて日本町のお茶の水橋近くで別れました。
日本町の直ぐ側からバスが出ているので、少し街中を歩い
いましたが、昨日が食事のランチ時間で余り良く見なかっ
たので、今日は一人でのんびりと歩いていました。
レストランやお菓子屋、雑貨店、事務所、食事が出る下宿
屋、日本式風呂がある旅館、日本式の女性が居る飲み屋、
何でもありました。
偶然にコチア産業協同組合の実習生の一人に会い、聞くと
農場の主人の世話で、サンパウロ見物で日本町に一晩泊ま
っていたと言う事で、午後にはかなり離れた所まで車で行
くと話していましたが、しばらくカフェー屋でコーヒーで
飲んで話していました。
私はお菓子屋で饅頭をブエノス下船の仲間に買い、サンパ
ウロ見物のお土産にしていました。
これは非常に皆に喜ばれてその夜、お茶でも入れて頂きま
した。サントス行のバスに乗車すると港まで直行で、簡単
に戻ってきましたが、下車して少しサントス港の町を歩い
来ましたが、日本人のお店もあり、日本語を書いた酒場も
ありました。
港の税関ゲート前にはコーヒー豆の店が沢山ありましたが、
生コーヒーを炒っている香りがきつく、ここはブラジルだ
と肌で感じていました。
船員さんが1回に、各自に2kgまでのコーヒー豆は無税で
船に持ち込めると言う事で、アルゼンチンで売れば良い値段
で売れるので、トランクに先輩の荷物を出して余裕があるの
少し買い入れました。
アフリカ丸に戻り、自分達のブエノス行きの船客だけが居る
船室に戻るときに、今朝、船員さん達が組み立てベッドをか
たずけていたのですが、そこには掃除も終わり、ガラーンと
した船内灯の光に照らし出される剝き出しの床に、シーンと
静まり返る部屋がありました。
その光景は今でも忘れることが出来ない船室の光景で、深く
この脳裏に刻まれています。
昨日までは子供達が走り回り、音楽が聞こえ、ベッドの間に
洗濯ものがあり、人々の生活の場であった所が、帰りはそ
こに荷物を積み込み様にしてあり、無機質の色褪せた床だ
けでした。
その夜、夕食の時間は1テーブルだけで、寂しい感じがして、
私がサンパウロの日本町でお土産に買って来た饅頭を出し
て、それから皆が話始めて賑やかになりましたが、夜の船
内廊下は誰もすれ違う事もなく侘しい感じでした。
タラップの下にはブラジル人警備員が腰に拳銃をぶら下げ
て座っているだけで岸壁も街灯の光の下で静まり返ってい
ました。
その時、甲板に居た私に「今から飲み行くがあんたも来る
かい」と中年の船員さんが誘ってくれましたが、私が
「喜んで・・!」と言うと、「日本人の女性が居る酒場だ
よ・」と教えてくれました。
歩いて行く途中で説明してくれましたが、移住地に入植し
て、色々な事情で日本に帰国する願いで逃げて来た女性
が、サントス港には居ると言う事でした。
税関出口から少し歩いたところに、日本の提灯がぶら下
げてあり、船員さん達はそこに入ると奥に、「今日は彼女
達は居るかい・・、」と声を掛けていました。
次回に続く、
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