私の還暦過去帳(706)
移住の昔話、(16)
翌朝、移住船アフリカ丸はキュラソー島に向けて出港しました。
60kmぐらいですから時間は余りか掛かることなく、到着して
波止場に停泊しましたが、オイルタンクが並び、近くには製油所
もありました。
近くの桟橋に沢山の小舟が停泊しているので、船員さんに聞くと
ベネズエラから生鮮食料品や果物を積んで島に売りに来ている小舟
だと言う事でした。見ると果物を積んでいる船や、野菜類を多く
積んだ船もありましたが、船の前で主婦が買い物籠を持って品定め
をして買い物していました。
小舟は2日間や長くても3日間ばかり停泊して売りつくすとベネズ
エラに戻って行くと聞きました。
島では耕地が無く、乾燥した大地で水も乏しく農耕が出来ない様で
した。シエル石油の石油産業でで維持されている島の様でした。
アフリカ丸は船舶重油を積み込み始めていましたが、時間が掛かる
ので下船して町を見物することは構わないと言う事で、たいして店
がある様子ではなく、免税品などの商店は隣の島にあるようで、
少し期待外れでしたが、港近くの商店街に友達と出かけていました。
港からブラブラ歩いていると、黒人の若い男が生意気に「チーノ」
とはやし立て、側に来てチーノ・チーノと言うので、すれ違いざま
回し蹴りで蹴り倒していました。
呆然と尻もちを付き、我々を見ている黒人に、ハポネス(日本人)だ
と言い返していましたが、チーノというのは東洋人と言う意味だそ
うで、彼等はえらいとばっちりの感じでした。
南米に来て初めての体験で、チーノと言われて、頭に来て、かちんと
来るものがあり、身体が反射的に動いたと思います。
船に帰ってからまだ給油は続いていましたが、港の施設は警備の兵隊
が居ましたが、その当時は船で免税で安くタバコが買えて、10本入り
の両切りピースのタバコを買い、時々吸っていました。
ライフルを担いだ警備兵が、手真似でタバコがあれば下さいと言うの
で、そのころ日本で売り出したガスライターで火を付けて1本吸わせ
てやりましたが、隠れる様に警備の小屋の陰で吸っているのが分か
りました。
桟橋を散歩して禁煙のサインを見たので兵隊は隠れて吸っていたと感じ
ましたが、また近くに来てタバコを欲しいという言うので、こちらは
タバコの箱を見せて、お前が担いでいるライフルの実弾1発とタバコ
1箱と交換すると片言のスペイン語で冗談のつもりで言うと、なんと、
兵隊は警備の小屋に入り、直ぐに出てくると、おいで・・、と手招き
して小屋の陰で手を差し出してタバコくれとサインを出しているので、
タバコを素早く渡すと同時に、私の手にライフルの実弾1発を握らせ
てくれました。
兵隊はにっこり笑うと、ライフルを肩に桟橋の方に歩いて行きました
が、その弾はしばらく私の記念として持っていました。
アフリカ丸は夕方には給油も終わり、このABC諸島を後にしました。
この島はシエル石油の製油所で持っている様な感じでしたが、観光施設
もあり、飛行場も完備しているので、ここでアメリカのロスからの乗船
したリオ行きの独身男性は「リオに船が到着したらまた会いましょう」
と下船して行きました。
船の給油時間の停泊だけでしたが、中にはつまらない町だと言う事で
見物に下船しない人も多くいました。
出航して直ぐに日が暮れて来ましたが、私には印象の深いキュラソー
の島になりました。
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