2020年12月4日金曜日

私の還暦過去帳(705)

 移住の昔話、(15)

1915年にベネズエラの油田が発見されて、この国は大

きく変化したと言われています。首都カラカスは近代的な

街ですが、貧困差が南米では激しい様に首都もそれが感じ

られました。

今でも政治的な混乱で国内経済が破綻して、石油価格の

低迷でその政治情勢が続いていると感じます。

観光見物の出発間際に、首都カラカスの政府系建物には、

ネクタイをしないと入館させないと聞き、当時、ホンコン

シャツを着ていたので、ネクタイを折りたたんでポケット

に入れていました。一人だけネクタイが見当たらないと言

う事でしたが、運転手が何でもよければ持っていると言う

事で安心しました。

移民船から皆で下船するとタクシーが待っていましたが、

運転手は中年の大人しい感じの運転手でしたが、運転は少

し荒い感じの運転で、聞いた様に南米ではこれが当たり前

と言う感じでした。

首都カラカスに港から行く道は良く手入れされた高速道路

で、かなりのスピードで飛ばして行きましたが、カラカス

の市内に入る前まではカーブの多い道を飛ばして行きました

が市内近くなると渋滞に巻き込まれて、ノロノロ運転に

なりました。

前の座席に座っている今日の通訳兼ガイドは運転手の説明

を聞いて、我々に通訳してくれましたので助かりました。

見晴らしの良い道路を通過した時に、皆で休憩を頼んで停

りましたが、マドンナがジューススタンドの生のオレンジ

を絞って飲ませる屋台を見て、「私は話に聞いていたので

一度飲みたい‥」と提案しましたので、皆が賛成して運転手

に話して注文して飲むことになりました。

運転手が屋台に交渉して、合計6杯のオレンジジユースを

注文してくれましたが、直ぐに大きな袋からオレンジを出す

と機械に入れて絞り始めて、最初はマドンナが飲みましたが

今でも忘れないような声で「今までで、最高のオレンジジユ

ーを飲んだ感じ‥」と言っていました。

私も生まれて初めての体験でしたが、「スゲー!最高‥!」

と感じて生の絞りたてを飲んでいました。

長い航海でこのような飲物を初めて飲んだ経験でしたが、

日本ではオレンジがを目の前で絞って飲ませる様な所は無

かったからでした。

運転手は首都カラカスに入り、国会議事堂、大統領官邸、

博物館などを廻って見学させてくれましたが、マドンナが

居たおかげで彼女が先に歩き議事堂見学でも門衛がさっと

ドアを開けてくれ、彼女が会釈してお礼を言うと、サービ

ス良く見学させてくれました。

マドンナの日本女性の優雅さに注目が集まり彼女を見物に

誘って良かったと皆で話していました。

ランチは皆がステーキでも食べたいと言う事で、そこのレ

ストランに運転手が連れて行ってくれましたので、我々と

同席して食事を食べようと誘いましたが、遠慮して来ませ

んでした。

ランチは本物の大きなステーキで、椰子の芽のサラダには

初めて食べたので今でも覚えています。船の食堂では食べ

ることが出来ないランチも食べて、 マドンナとの見学で

楽しい一日でした。

彼女のおかげで首都カラカス見学は楽しいものになり、見

学の議事堂案内などで、英語が話せる美人の彼女が居たの

でだいぶ得をして、案内人の中年の男が、彼女にべったり

で丁重に案内するのが面白く、皆で笑っていました。

市内の雑多な住宅街も走り、山際にも貧しい住宅が並んで

貧困格差がベネズエラにもあると感じていました。

帰りは下り坂でスイスイと混雑もなく港に帰って来ました。

帰ってから美味しいオレンジジユースを飲んだことや、ス

テーキも食べたと言うと、皆が羨ましがっていました。

明日はキュラソー島に向けて船舶重油を補給に行く予定で

その当時その島は免税品が安く買えると言う事で少し期待

していました。


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