私の還暦過去帳(703)
移住の昔話、(13)
コロンの港はその当時のパナマ運河はアメリカ政府の直接管理で、運
河地帯は奇麗に整備され、維持管理されていました。
しかしパナマの現地の住宅は、まだトタン屋根の貧しい造りの家が目
立つ感じの家並みが多く、貧困差の現実を見た感じでした。
ブラジル移住の独身者の若者の中には朝帰りの人も居て、昨日の酒場
の近くの銃撃戦の足止めで、バーから外に出られなく朝帰りのグルー
プも居て、話題には事欠く事なく、昼頃まで寝ている人も居ました。
翌日も船の荷役で、一日中船は停泊していたので、船着き場の近くの
市場に見物がてらに果物を買いに友達と出ていました。行く途中に
リヤカーでバナナやスイカ、パパイヤ、マンゴーなどを果物大量に買
い、現地人のリヤカーで運ばせて船に運んでくる船員の人が居たので、
聞くと船内の厨房でバナナなどは熟らして食すると言う事で、大きな
房で、それを何本も載せていましたが、「貴方達は買うのでしたら熟れ
たバナナを買いなさい」と忠告してくれました。
ブラジルの移住者でバナナが好きで、安い値段で青房で買い、船室に
ぶら下げていたのですが、サントス入港までに青バナナは熟れなくて
捨てたという話でした。
昔に移住者の子供がバナナなど日本では高価で、滅多に食べることも
出来なかった時代に、安く熟れたバナナを買い込み毎日のように、大量
に食べていた子供が腸閉塞を起こして、急死して大西洋に水葬にしたと
いう話も船員さんから聞き、船内で移住者が急死すと、船医が死亡診断
書を書き、船長が指揮して葬儀を行い水葬にするという話を聞きました
が、船はその現場を3周して汽笛を鳴らして現場を後にするという事でした。
その日はマンゴーやパパイヤなどの熱帯果物を買い、バナナも皆で熟れ
た房を買い船に帰ってから、タクシーで市内見物に出ていましたが、
古いアメ車の大型タクシーには5名も乗車が出来たので、相乗りでの
見物は安いものでした。
2時間ばかりの見学でしたが、市内見学には十分な時間で、強烈な印
象はアメリカ政府の専用領地の素晴らし住宅地と、現地パナマの住宅街
の貧しい家並みの対象でしたが、今でもアメリカ政府の専用領地内の
ゴルフ場の緑と、カラフルな衣装でプレーする人達を、黒人の子供が
塀に寄りかかり、そのゴルフをしている人達を眺めている光景は、今
でもハッキリと覚えています。
買って来た果物類はブラジルからの里帰りのシニアに方にも分けて上
げて、喜ばれました。
これから赤道を超えてしばらく大西洋を南下するのでコロン港は良い
休日になりました。
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