2020年12月1日火曜日

私の還暦過去帳(702)

 移住の昔話、(12)

コロンの港町は何か我々には南米にいよいよ来た感じがしました。

その夕方は、ブラジル移住者も上陸出来て、市内見物も出来ると言う

事で若い血気のある男性達は町に飲みに行く事を計画していました。

船員さんから、あそこはバーに若い女性が沢山居て面白い所も沢山あ

るとか聞いていたからでした。

船医も心得た様に前もって午後の暇なときにその様な血気盛んな若者

を呼んで、教育をして土産にコンドームを各自に持たせていました。

移住監督は建設省から来ていた人でしたが、大人しい感じのサラリー

マンの感じがする方でした。移住行程の道順で、注意事項の要点を

皆に注意していましたが、飲みに行く時は飲む金だけ所持して、大金

は持たないと注意され、必ず数人でグループ行動するように言われてい

ました。

街中は雑多な様子で黒人が多く、パナマ運河建設時に労務者で来た子孫

だと聞いていましたが、その混血も沢山見られました。

私には1960年代の新宿西口のバラック街の飲み屋を思い出していま

した。まだ終戦後の闇市の残りがあり、軍隊酒場というのも残って居

て、酒場の前には旧陸軍制服の兵隊姿の門衛が立ち、客に捧げ筒の礼

をしていました。

中からは軍歌が聞こえて来てシナ服姿の女性が居て、その様な雑多な

感じの雰囲気と焼き鳥屋の香ばしい肉の焦げる匂いと、女性の安香

水の匂いと、コロンの酒場街を重ねると、混血女性のピチピチのマン

ボボスン姿の風景が混ざり、新宿西口の思い出とコロンの町が重なり、

違和感が無い感じでした。

学生時代にアルバイトの帰りに焼き鳥屋に寄り、梅割り焼酎を注文

して飲みながら焼き鳥でも食べる楽しみも味わいましたが、その当時

は鯨肉の大きなカツやステーキが学生の肉を食べたい満足を満たし

ていましたので、西口にある鯨肉専門の食堂で帰りに食べていました

ので、コロンの街は人種の肌が違う感じでも、新宿西口のヤクザが

背広を肩に羽織り、雪駄を鳴らして歩く姿を覚えて居たので、私に

は危険と言われていた街も、違和感が無い町でした。

この港町はパナマ運河を行き来する多くの船員達の息抜きの街でも

あり、大きな花街もありましたので、それを聞いているブラジル行

きの若い移住者達が勇んでいたのもむりの無い事でした。

夕食の後にブエノス下船の仲間とグループで飲みに出ましたが、ラ

テンの早いテンポのリズムの音楽に踊るように、たむろする若い女性

がバーの前で呼び込みをしているのを見て、それを冷かしながら、

街を歩いて見物していました。

ブラジル移住者の独身の男性達はロスで上陸出来なかった事もあり、

ストレス発散で酒場街で飲み、若い女性とダンスをして騒いでいました。

バーで仲間とビールでも飲んで若い混血の女性と片言の英語で話して

いた時に近くで銃声らしき音が数発聞こえたので、直ぐに切り上げて

皆で船に帰りましたが、騒いでいたブラジル行きの若い独身者達は外

に出られず、朝までバーの中で居たという事です。

銃声は警官が犯人と撃ち合い騒ぎになっていたと言う事でした。

それにしてもパナマで銃撃騒ぎに会う事は良いこれからの洗礼でした。



 



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