私の還暦過去帳(704)
移住の昔話、(14)
コロン港を出港して大西洋を南下する船旅は、単調で、暑
くなり甲板では日除けのキャンバスを張った所だけ座れま
すが、金属の物は暑くて火傷をする感じでした。
次の寄港地はべネゼエラのラ・グアイラ港でした。
移民船はまずそこに寄港して、直ぐに沖合60kmほどに
あるオランダ領のキュラソー島に寄港して、ロイヤル・
ダッチ・シエル石油の製油所に寄港して、移民船アフリカ
丸の船舶重油を補給していました。船員さんが教えてくれ
ましたが、1960年代の日本船は殆どがこの島に寄り、
給油していると言う事でした。
後で聞いたのですが、1974年の第一次オイルショック
でシエル石油はこの島の製油所を閉鎖したと言う事です。
その頃になるとアメリカのロスから乗船していたアメリカ人
のリオまで行く独身男性は、単調な船旅に飽きた様で、早く
リオに行きたいと言う事で、そこで下船して飛行機でリオま
で飛ぶと話していました。そこには飛行場もあり、飛行機が
給油するので国際便も出ているようでした。
次の寄港地、べネゼエラのラ・グアイラ港は、ベネズエラの
首都カラカスに2時間もか掛からず見物に行けると言う事で、
ブエノス下船する仲間と、ブラジルのサンパウロに行くマド
ンナの彼女も誘い、半日カラカス見物に行く事を決めていま
した。
移民船は早朝に到着して荷役が終れば明日は出航でしたが、
到着して港に接岸すると、観光案内のタクシーが並んで、客
寄せの呼び込みをしていました。スペイン語が堪能な友人が
交渉して、アメ車の大型タクシーで、首都カラカス観光を行
きを決めていましたが、朝から夕方の4時頃まで5人乗りで
格安でした。
朝食を済ませて仲間と今日はマドンナも同行で張り切ってい
ましたが、誰がマドンナの横に座るか、少しもめていました
が、彼女は前の席のドア側に決まり、運転手の横はスペイン
語が上手な友人に決まり、ガイド兼通訳となりました。
カラカス行きは僅かのグループだけでしたが、勇んで出発し
て行きました。
次回に続く、
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