2020年12月8日火曜日

私の還暦過去帳(709)

 移住の昔話、(19)

私のリオ・デ・ジャネイロの町は若い私には印象が強烈で

今でも時々、サンバのリズムを聞きながら、ゆったりと

スファーに座り、目を閉じて瞑想の郷愁の旅路に思いを

馳せて振り返れば、青春時代のリオの出来事が走馬灯の

様に過去から思い出が湧きだします。

移民船アフリカ丸は早朝にリオの湾に入って行きました。

甲板で並んでリオの景色を沖合から見ていたら、ミゲール

が説明してくれましたが、「巨人が寝ている様に見えるだ

ろう‥」と言うので山の谷間となだらかな起伏が巨人が寝

ている感じでしたが、彼が「あのポンデ・アスーカルの山

丁度、ペニスに当る‥」と言う説明に、皆がアッと言う

感じで見ていました。

港に入港して側に飛行場があり、湾内の海の色と、海岸線

に立ち並ぶ高層ビルのカラフルな色が奇麗でした。

岸壁に接岸して直ぐに下船する移住者達がタラップを降り

始めて、皆で見送りましたが、駆け落ち同然の二人はリオ

で下船して行きましたが、皆が次のサントス港に待っている

恋人が仰天して驚く様だと話していました。

今もリオは世界の観光地として、カニバールの祭りの時は

ホテルなどは、どこも予約が出来ない様になり、町は人で

溢れ返り、乗船者が話してくれましたが、クラブ毎にパー

テイを開き、どんちゃん騒ぎをすると言う事で、この騒ぎ

で死傷者が多数出て、私生児も同じく生まれると話してくれ

ました。

私も青春の一コマとして、コカカバーナの海岸で泳いだ事、

コカカバーナ海岸のレストラン兼クラブで食事して、サンバ

の生演奏を聴き、深夜の海岸モザイク歩道を皆で散歩した事、

海岸のバーでサンバの踊りを現地人の女性と踊った事、ケー

ブルカーでキリストの像を見学に行った事、ポンデアスー

カルの頂上からリオの夜景を見た事、飲みに行ったバーで、

混血の若い女性から、「私は黒人の子供は生みたくない、

白人も同じ、日本人は勤勉で働き者で、頭が良いので日本人

の子供を産みたい」と酔った若い女性から迫られ、ドギマギ

して、仰天した事。

当時のリオには世界でも有数の花街があり、マンゲと言わ

れる場所でしたが、入り口には警官が居てカメラは禁止さ

れて、撮影などしたら直ぐにフイルムは没収されると言う

事でした。今ではその様な同じ場所があるか知りませんが、

場内は人間の性のあらゆる趣向を満足させてくれる種類が

用意されていると様で、アフリカ丸が出航する前の日に友

とタクシーで見学に行きましたが、入り口には警官が居

カメラは禁止でしたが、若い奇麗な女性が窓際に座って

居るのですが、見ていると、男が指名しても見向きもせず、

自分から沢山見ている中から男を指名して、手招きして男

を呼びましたが、見物人から歓声が上がり、押される様に

前に出て来て、若い女性が手を引っ張って部屋に連れて行

く時に、奇声を発して見物の黒人が奇妙なダンスを始めたの

には驚きました。

リオの概略を書きましたが、次回はそのマドンナ達と市内見

に歩いた事を書きます。

次回に続く、




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