私の還暦過去帳(708)
移住の昔話、(18)
赤道祭も終わり、リオで下船する方々は早々と用意を始める人も居
ました。リオで下船する移住者は少なく、呼び寄せ移住者と、花嫁
移住する方々でした。
それから飛び入りの様にサントス下船する花嫁移住者の一人が、船内
で独身者の移住者と出来上がり、駆け落ちの様で下船する女性が居
ました。狭い船内で毎日、毎日飽きもせず話して心開いて、心通じる
物が二人に出来た様で、この世界に男と女がいれば、アダムとイブの
時代から禁断の実を味わえば、無理もない事だと感じていました。
船員さんの過去の航海でも、同じようなケースがあり、二人の逢引き
の場が救命艇の中だったと言う事で、狭い船内では他人の視線から
逃れる事は不可能でした。船に乗船2カ月前に結婚した来た若い夫婦
は遠慮もなく、べたべたとして、傍目にも気にしないで、手をつない
で甲板を散歩する姿は、見慣れて何も感じなくなりました。
それぞれの人生遍歴を経て、この移住船アフリカ丸に乗船している
人間模様も、これは若い私には一つの人生経験でした。
ロスから乗船してきたアルゼンチンのブエノスまで乗船する引退した
弁護士のミゲール氏も、スペイン語の練習で良く話をして、学びました
が、南米の社会風習などの教えは貴重でした。
彼は歳がらも気にせず、アメリカから購入してきた日本製の携帯ラジオ
で音楽をバンバンと音高く聞いていましたが、日本人でしたら遠慮して
音を低くするとか、誰も居ない所で聞くとかするのですが、耳も遠く
老人性難聴もあると感じますが、最後は船の事務職に注意されていま
した。
人間模様の様々な織りなす物語が狭い船内で繰り広げていましたが、
ブラジルやアルゼンチンからの祖国訪問の1世達の経験談や、人生の
四方山話が、喜怒哀楽の人生模様を織りなして、一番貴重な話でした。
特にペルーに移住して、再度パラグワイに最初に開かれたラ・コルメナ
移住者と言う体験談は、私にはパラグワイ移住者として貴重な話で
した。パラグワイからアルゼンチンに家族を連れて、再移住して、そ
してアルゼンチンのブエノス州に子供達4名と生活の場を築き上げた
その努力と忍耐の素晴らしさを学んだと感じています。
今でもその夫婦の話には感謝していますが、船内教室で教えられた事
が沢山あり、それからの私の人生で大きな役に立ちました。
明日、ブラジルの最初の停泊地、リオ・デ・ジャネイロ港に到着する
という日に、下船する方々とお別れ会を致しましたが、長い航海で
親しくして頂いた方も居て、少し寂しい感じも致しました。
今回のリオ滞在は長い停泊で事前に、仲間とサントス下船のマドンナ
にも声を掛けて、コカカバーナー海岸やポンデアスーカル、キリスト
像見学も入れて、市内見物に行く計画を練っていました。
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