2020年12月6日日曜日

私の還暦過去帳(707)

移住の昔話、(17) 

キュラソー島を出て、アフリカ丸は一路、ブラジルのリオ・デ・ジャネ

イロに向けて航海して行きました。

毎日暑い日が続き、キャンバスを張った甲板の日陰で、毎日のように

里帰りの1世達に昔話を聞いていましたが、南米の農業での開拓話など

貴重な経験からの話に随分と勉強になりました。

日本食を食べたくて、まず稲作の田圃を作り田植えをして、最初から

余るほどに米が出来て、それを販売して儲けた話など聞くと、先人の

苦労が分かりました。

ブラジルからの里帰りの方々の中には、身体が不自由な方もいました

が、奥さんが毎日のように甲板の木陰で、マッサージをご主人にして

いる方を見ると頭が下がる様でした。

今でも忘れない話ですが、ゴボウのきんぴらを食べたくて、代用の物

で作っていたと言う事ですが、パパイヤの若根を掘り出し、それを刻

んで水に晒して、ゴボウの代わりにしていたと言う事です。

味付けを少し濃ゆくすれば、ゴボウとパパイヤの差が無くなり、美味

しく食べられたと言う事です。

戦時中は日本人達には集会の禁止、移動の禁止も出ていたようですが、

皆と集まり酒を酌み交わして、日本語で話す事が息抜きであったよう

です。

アフリカ丸は航海の最大の山場となる赤道祭を盛大に執り行う事にな

り、ネプチューンの海の神様に無事の航海安全と、乗客のこれからの

無事を祈って誰か船長役と海神役、そのお付の役を募集していました

が、これが中々決まらず、船員さんがお前は船長と同じ体格で、背格

好が似ているの船長役をしたら良いのにと言うのでしたが、船長服を

借りて1日だけの船長になるので、それと祭りに参加した者には何か、

褒美のギフトも用意されていると言う話に、それと船員さんが私の肩

幅を測り、船長服が合うと言う事で、無理矢理に船長役が廻って来て

船長役を赤道祭にやることが決まりました。

周りの友達も寸劇に参加して祭りを盛り立てる事になり、練習が始ま

りました。赤道通過も直ぐですから、皆で船内の祭りの飾りや、用意

も進み、寸劇の練習もしていました。

当日は船長服をお借りして、ネクタイもして一日船長になりました。

船では祭りが終了してから、船客に一人一人に赤道通過証を名前入り

で発行されると言う事で楽しみにしていました。

移住者の子供達は祭りで、少し菓子なども出て、何かプレゼントもあ

ると言う事で盛り上がっていました。

朝から皆が赤道祭の祭りに参加して、狭い甲板で賞品がでる競争や、

パン食い競争なども開かれて盛り上がり、最後は海の神様に船長役の

私が代表して、赤道通過の許しを請い、ネプチューンの神から許可が

出て祭りは終わりました。

その夜、祭りに参加した皆でパーテイを開き、乾杯してこれからの

航海の平穏無事を祈り、これからの将来の夢に再度、乾杯していまし

た。

次回に続く、


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