2020年12月13日日曜日

私の還暦過去帳(714)

 移住の昔話、(24

サントス港入港の朝は晴れていました。

サントス湾を左に海岸の遊歩道路と、高層ビルの建物を見

ながら船は進んで行きました。

船員さんがサンパウロ庶民の避暑地だと話していました

が、夏は大勢のサンパウロ市民が押し寄せる所だと言う事

でした。甲板には皆が並んでサントス入港を見ていました

が、船が接岸すると同時に迎えの家族や親戚などの大勢の

出迎えが見えて、互いに手を振り、大声で名前を呼んで

いる祖国日本訪問の家族達が大勢待ち構えているのが分か

りました。

皆の手荷物は上陸甲板に用意され、タラップを降りる用意が

移住者達には準備され、我々ブエノス下船者達は邪魔にな

らない様にその上の甲板で見ていました。

出迎えの中の女性が何か象の様な足をして、杖を突いて歩

いていたので、甲板に居た船医に聞くと、「あれは象皮病と

いう風土病だ」と言う事を教えてくれました。

ブラジルの田舎ではまだその様な病気があると言う事で、驚

ましたが、寄生虫が引き起こす病気だと言う事で、その時

初めて知りましたが、その方は直ぐに人混みに消えてしまい、

大勢の出迎えの人達の渦に驚いて見ていましたが、直ぐに

祖国訪問のシニアの方達が最初にタラップを船員さん達に守

られ税関ゲートまで荷物を持って案内されていました。

見ていると直ぐに税関出口から大勢の家族の囲まれて、車に

乗り込む人が見え、直ぐにあれだけ居た出迎えの人達が大潮

引く様に居なくなり、花嫁移住者が恋人に花輪を渡され、

抱き合う姿も見ました。

直ぐにブラジル移住者達の家族やコチヤ産業組合の実習生

達が受け入れ先の農家の人が出迎えて若い独身者達も直ぐに

居なくなりました。

マドンナも出迎えの人に案内されて手を振りながらゲートに

消えて行きました。大勢のアフリカ丸下船者が税関検査に

並んでいたのですが、直ぐにそれも係員に案内されて居な

くなり、船倉荷物もその頃には岸壁に荷下ろしされて移住者

に引き渡されていました。

朝から甲板で見送りしてブエノス下船者達が居る部屋に戻

時に、早くも船員さん達が組み立てベッドの解体を始め

ていました。

私は先輩が来るので、荷物を用意してサンパウロに一泊す

るので着替えと洗面道具を入れたバックを用意して直ぐに

出かける様にしていましたが、先輩は1960年頃から

ブラジルの戦前からのお茶の里、レジストロに行き、そこ

近いブラジル海岸山脈の中腹、タピライで新しいお茶の

里を切り開いて皆にお茶栽培の技術指導をされていました。

茶畑の造成、苗の差木、手入れなども最新の技術で育成して

それが成功して日本人入植者達の大きな力となっていた方

です。

先輩が出迎えに来たと言うので、私も下船しましたが、そ

の時はガラーンとした誰も居ない税関前の広場に驚きました。

港からサンパウロまでサントス街道をバスで登って行きまし

たが、戦前の昔は列車がサンパウロまで急坂をワイヤーで引

き揚げる方式のループ式線路があったと言う事です。

またこの道を徒歩でサンパウロまで歩いて行った方にも会い

ましたが、戦前の昔に貨物船から脱船して腰に刺身包丁を差

し、オンサ(アメリカプユーマ)が出没するジャングルの道

を歩いてサンパウロの日本町まで手荷物1個だけで行った方

は、アルゼンチンのミッショネス州ポサダでお会いした方で

した。

その当時のサントス街道は対面式の2車線だけの道路で、大

トラックなどが走ると渋滞する道でした。

サンパウロ市近くになり、フォルクスワーゲン工場近くは、

奇麗な高速道路の様でした。

今では完全分離の高速道路がサントス港まで走っているよ

うです。先輩とサンパウロに行くバスの中でお話をしていま

したがランチはサンパウロの日本町で、ブラジルの名物、

フェジョンアーダの煮込みをご馳走になり、その後、市内

見物で歩き、サンパウロの大きく発展する姿に驚きと将来を

感じていました。

先輩は敬虔な無教会派のクリスチャンで、タピライの新、

お茶の里の完成を願って仕事をされていた方ですが、完成

と同時に癌で亡くなられ、その里も、その後、日本の資本、

山本山に土地を買い占められ、入植された方々はそれを売っ

て居なくなり、そこで生産される緑茶は北米の日本食レス

トランなどで使われる茶葉として輸出されていると聞きま

した。

全てが時代の波に飲み込まれて消えて行ったと感じます。

その夜、先輩が連れて行った大学の同僚の農場は養鶏場で、

夕食をご馳走になるときに、食堂の天井を指さして真っ黒く

見えるのは全部、ハエがとまって居るからだと教えられ、

仰天したことがあり、夜は飛ばないので心配ないと言う事

でした。

食事の後に、ブラジルの農家の名物を見せてやると言うの

で、何事かと思っていたら、わざわざ私が訪ねて来るので、

見せたいから捕らなかったと言って、足先にダニが巣を作り

皮膚に潜り込んでいるダニをタバコのヤニを付けて、針先

で掘り出して見せてくれたのは2㎜ぐらいのダニでしたが、

話には聞いていたのですが、生まれて初めて見て驚いてい

ました。

その夜、先輩達の話を聞いてピンガの酒に酔い、ドラム缶

の風呂に入り、ブラジル上陸初日を閉じていました。

次回に続く、







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