私の還暦過去帳(718)
移住の昔話、(28)
サントス港は日本人の私には余り違和感がない町でした。
停泊しているアフリカ丸から見ると、入江の対岸から大勢の
人達が、渡し船でこちら側に通ってくるのが見え、その中に
は必ず東洋人の姿も居て、町を歩いていても必ず日本人らし
き人とすれ違い、サンパウロからバスで帰って来た時に、
私に日本語で「サンパウロ行きのバスは次は何時ですか、」
と聞いて来た人が居て、驚いた事がありました。
この町は戦前の昔にブラジルに移住してきた日本人の原点
の出発点で、戦前からの移住者に聞くと、殆どの方がサン
トス港上陸でした。
親しくなったバイーア州出身の彼女も日本人が多い町に引
かれて住んでいると感じていました。
夕暮れが近くなるとガラーンとした船客の居ない船内は常
夜灯の白熱灯の光だけが輝き、上甲板の通信室と事務室が
窓が明るく見えて、微かにジーゼル発電機の音が響き、
タラップ下に警備員が居るだけの静かな光景でした。
その夜、夕食が終わり食堂で現地のテレビが見れるので、
早口のポルトガル語は意味が分からないのですが、二ユー
スを見ていました。
その夜、友人を誘いバールに遊びに出ていました。
私が移住の昔話を書くことが出来るのも、手帳に記録を
残し、日記を書き残しているからだと思いまます。
今、さらさらとここに書けるのは、その日々の出来事を手帳
に書いて残していたからです。
手帳は60年昔の幾多の変遷を経て、世界を歩きましたが、’
長い年月に使った手帳を全部保存していますし、日記もアメ
リカに来て46年間も毎日書き残していますが、アメリカで
私が請け負っていた仕事でトラブルが起きた時にその日記帳
が裁判の証拠になると言う事で、克明に書き残していた記録
で相手の弁護士が10年間の日記帳を見せたとたんに、告訴
を取り下げていました。
貴方も自分の記録を残すことは過去を振り返り、未来を予測
するチャンスが来ると感じます。
次回に続く、
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