私の還暦過去帳(717)
移住の昔話、(27)
翌朝は船の荷下ろしで早朝から賑やかでした。
ブラジル人の湾港労務者が船倉の鋼材を荷下ろしてしてい
ました。
朝食がいつもの様に用意されていましたが、人数が少なく
なり食事の質が良くなりましたが、船員さんがこれは毎航
海同じだと話していました。
私は昨夜の一緒に飲みに行った船員さんに昨夜のお礼を言
っていましたが、私が帰りに税関ゲート近くのバールに寄
ったと言うと彼女の事を教えてくれました。
彼女はバイーア州の出身で、日本の遠洋魚業の基地がある
レシーフェに居る頃に、日本人船員と知り合い、仲良くなり
暮らしていた様で、船員が遠洋漁船の船員から、貨物船の
船員に代わるとサントスと日本を往復する船で、彼女はサン
トス引っ越して来て、住み着いたと言う話をしてくれました。
日本人の船員が欧州航路に変更になり、サントスに寄港しな
くなっても、日本人船員が沢山来るサントス港に居るようだ
と話しをしてくれましたが、片言の日本語も分かると言う事
で、日本人船員には人気の女性だと言う事でした。
船員さんが「彼女から誘われたのだったら、行ってご飯でも
食べてきたら良いのに・・」と勧めてくれるので、行く用意
をしていました。
朝帰りのブエノス下船の独身者は、アルゼンチンとボリビア
に移住する男性で朝食にも出て来ないで寝ていました。
昼頃になり私は昨日貰っていた住所と道案内の紙を見なが
ら、彼女を訪ねて行きましたが、直ぐに分かるような所に住
んでいました。
ドアをノックすると素顔の彼女が出て来て、明るい部屋に
案内してくれ、丁度コーヒーを用意していたと話して、台所
に私を連れて行き彼女の自慢のコーヒーを用意してくれました。
コーヒー豆を挽いて、三角の布に入れて、沸騰したお湯を少
し置いてコーヒーの粉を蒸らす様にして注ぎ、ポットにそれ
を据えると、お湯を溢れないように注いでいました。
良い香りがして、ザラメの砂糖を少しコーヒーカップに入
れ、それに注ぐようにコーヒーを入れて私の前に出してく
れましたが、私には少し濃い過ぎるコーヒーで、今でも
覚えている彼女のコーヒーの味です。
その頃、日本ではコーヒーのインスタントなどが出て来て
居る頃で、学生の私達にはあまり縁が無い飲み物でした
ので、「ムイト・ボーン!」と言ってブラジルコーヒーの
味はこんなものかと考えて飲んでいました。
彼女のは部屋には日本的な飾りをしてあり、台所には日本
的なお皿類も置いてあり、彼女が日本と縁のある生活を
していたと感じていました。
彼女はランチにエンパナーダを作ったと言って出してき
ましたが、ミルクを貰い、私の好きなミルクコーヒーを作
り食べていました。
彼女は素顔で見ると私より少し年上の感じがしましたが、
童顔で少し小麦粉肌のブラジル女性で、初めて相対して
現地の女性を見て話をするにも良い経験でした。
彼女は「私は夜の仕事で余り日光に当たらないので、こ
れからサントス海岸に出て遊びに行こう」と誘われ、私
がOKすると、バックを持って表通りでワーゲンのタク
シーを呼び止めて海岸に行きましたが、5分も掛からず
遊歩道に来て砂浜に降りて、貸しパラソルの下で彼女の
ぽっちゃりした水着姿を見ながらのんびりしていました。
入港する時にサントス海岸を遠望に見て入港したのです
が、今、自分が知り合った彼女と海岸で寝そべっている
のを考えると、不思議な感じでした。
私は海水パンツが無かったので彼女だけ水着でしたが、
日焼け止めクリームを背中に塗ってくれと言われた時に
は、少しドキリとしましたが、彼女の背中に日焼け止め
クリームを塗ってやりましたが、初めて触れたブラジル
人女性の肌に若い私の心が興奮しているのが分かりま
した。
アイスクリームを食べて、またタクシーでアパートまで
帰って来ましたが、彼女が「暇だったら今夜もバールに
遊びに来てくれ・・」と誘われ、別れましたが、私には
サントス港での良い経験になり、夜にまたバールを訪ね
ると約束してアフリカ丸に戻りました。
次回に続く、
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