2020年12月26日土曜日

私の還暦過去帳(726)

 移住の昔話、(36)

海を見ながら私は真剣に将来の事を考えていました。

私は18歳と3カ月で東京に出る私に、お守りとして5円玉

を持たせてくれましたが、その後、私は実家に合計で3カ月も

生涯で戻る事はありませんでした。

その5円玉を手に握り締めて朝日に突き出して「やるぞー!」

吠えていました。

これからは自分の肉体と精神力、忍耐力だけが南米に生きて

行く力だと考えていました。

朝食が終わると、船員さんがポルトアレグレの沖合を航海して

いると話していましたが、明日はウルグワイのモンテビデオ

沖を通過してラプラタ河に入ると教えてくれました。

ブエノス港はストが解決しないのでラプラタ港停泊になり、

下船したらバスでブエノスの日本人会宿泊所に行く予定だと

知らされ、荷物もトラックで同時に運ばれて来ることになり

ました。

パラグワイ行きの国際列車も、ストの影響で、今週は中止に

なり、来週に出発することも知らされ、5日間ほど出発まで

首都のブエノス滞在が決まりました。

朝食後に隈部夫妻とこれからの日程を詳しく、詳細に紙に

書いて計画していましたが、ブエノスに詳しい隈部氏の立案

で、初日はブエノス市内見物と、アバスト中央市場などを見

して、2日目は隈部氏の4男の農園に行き、周りの日本人

農家と農場を見ることが決まり、3日目も同じくブエノス周

辺の日本人が多く住んでいる花卉栽培と蔬菜農園を見学に行

く事が決まり、4日目はパラグワイに持って行く荷物と隈部

氏に預ける荷物を分けて荷作りする様にして、5日目は朝か

移住事業団の係と駅に行きパラグワイ行きに荷物を預ける

事まで係が立ち会うので、それが済んでから、隈部氏が交渉

して2男宅に荷物を3個運ぶと言う事が決まりました。

国際列車は午後に出発するので、身軽に歩けて、荷物が無い

で気が楽で、バックサック1個で身軽に各地を歩ける様

にしていました。

そのことが私が多くの専門書や、種子類、工具などを何も

失くす事無く、南米生活を始める事に繋がりました。隈部

ご夫妻には今でも私の若い前途を案じて、自分の南米生活

の長き経験から忠告してくれた事に感謝しています。祖国

訪問の帰りに隈部夫妻に巡り会った事は、私の南米での有

意義な生活と、これからの将来に無駄な人生時間を使う事

無く、的確な目標を与えて下さったと今でも思っています。

私が横浜の移住斡旋所に居た時に、荷物を詰めていたとき、

1本のドラム缶を購入したので隙間が沢山あるので、近く

で移住者相手の店で、南米ではその頃、農作業で地下足袋

を使うので、買って持って行けば、重宝して、高く売れる

と言う事で、20足ばかり隙間に日本人が一番多く買うサ

イズを買い、入れて来た物がありました。

隈部氏に聞くと、日本人会の宿泊所に移住者から日本から

持って来た物を買いたい人が来るので、その時に売れば良

いと勧めてくれましたが、これが高く売れて、これからの

行動資金になり、大きな利益になりました。

その夜、ミゲールが何か法律問題で困った時は手助け出来

るので訪ねて来るように、親切に住所を書いてくれました

が、後でパラグワイからブエノスに戻り、労働許可証を取

るときにお世話になりましたが、彼の親切には今でも覚え

ています。

多くの方に出会い、親切に忠告をして下さり、他国で一人

旅に旅立つ私には貴重な、大きなプレゼントでした。

明日はラプラタ港到着になり、その準備を少ない荷物なが

ら始めていました。

次回に続く、


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