2020年12月23日水曜日

私の還暦過去帳(724)

移住の昔話、(34)

翌朝、船のエンジンが始動して、サントス出航の準備が始まり、
朝食もそこそこに甲板に出て見ていました。
白い船体のイタリア船が側の波止場に停泊して、大勢の船客が
下船しているようで、早朝に接岸した様でした。
イタリア・フランス・スペイン・ポルトガルの港に寄港して
ブラジルに到着しているのでアフリカ丸と比較にならない様な
多数の船客が居る様でした。
甲板でブエノス下船の引退した弁護士のミゲールが話してくれ
ましたが、サントスからブエノスにも寄港すると教えてくれ、
日本船と比較できない様な沢山の移民が乗船して居ると説明
してくれました。
しかし、ブエノスでは今はストライキで港が閉鎖されているので、
イタリア船もブエノス港は避けてラプラタ港に行くかもしれない
と教えてくれました。
サントス港は私の青春に大きな印象を与えてくれた港でした。
ガスライターが取り持つ縁で、マリアと知り会い、これからの
人生航路に良い経験になりましたが、彼女から貰った十字架は
お守りとして、それから長く私と南米生活を共にしていました。

アフリカ丸はサントス港からは僅かな人の見送りだけで、入江
を外洋に向けてゆっくり動き出しました。
サントス海岸を今度は右側に見て、沖合に出ると、まずは船の
ゴミを沖合に外洋投棄していました。
波間にサントス港が見えなくなると、良質な積み荷の枠木を貰い
荷物入れの木箱をトランクから大工道具を出して作っていました。

ランチ時間を挟んで夕方までには出来上がり、ブエノスに上陸
して、ブエノス日本人会の宿泊施設に滞在して時に、パラグワイ
の移住地からブエノス郊外に転住して、宿泊して土地を探してい
る方にその木箱は、ブエノスにパラグワイの荷物を整理して来た
ので、増えた荷物の入れる物が無いと言うので、プレゼントして
いましたが、長く使用してくれ、15年ほどしてブエノスを訪問
した時に、モレーノ近くの農園で、その時は温室栽培の花卉栽培
をされていましたが、奥様が貴方に頂いた木箱はまだ使っています
と見せてくださった時は、驚きと同時に、丁重に作っていた木箱
が、いまだに使われていたのには、嬉しかった覚えがあります。

私達独身者は荷物も少なく、下船する用意も洗濯物をこれからの
長い旅の用意に洗う事ぐらいで簡単でした。
その夜、夕食も終わり皆でこれからのブエノス下船してからの行
動を話していた時に、隈部氏が、「パラグワイに行く国際列車は
荷物の中身が抜かれ、盗難も多く、移民が持ってくる荷物は特に
狙われて被害にあうので、それと日本人などはパラグワイに行く
ので、荷抜きされても現地に入植して初めて気が付くことが多く、
過去にも貴重な道具類、台所用品の鍋や食器類まで盗まれていた」

と教えてくれましたが、私がアマンバイ農協に行くと言う事を
知っているので、その時、隈部氏ご夫妻が揃って、「若い貴方の人
生を賭ける場所か、まず見て来たからにしたら良い」と勧めてくれ
「アマンバイ農協とフラムやチャベス、アルトパラナ、イグワス移
住地も全部見て、それから首都のアスンション郊外の日本人の近
郊農業を見てからでも遅くはないと強く勧めてくれました。

今回、ブエノス上陸したら、首都ブエノスアイレス近郊農業も見て
比較したら、次の人生の生き方も決めることが出来るとも、勧めて
くれ、比較と言う対象を持つことは人生の方針を決める一番重要な
指針だと言う事を夫妻で強く私に教えてくれました。

隈部氏が「我々家族が、パラグワイに最初に入植して、営々と築き上
げた農場を捨ててまでアルゼンチンに再移住した事は、その意味が
分かるか!!、と聞かれて、少し呆然として考えていました。

そして、隈部氏が「人生は一度、若い時代も一度、若い気力がある
時も一度、夢を大きく膨らませて物事に取り組める時も1度、
人生の夢も衰え、身体も衰え、精神的にも衰えが直ぐに来る事を
考えれば、今は何をしなくてはならないか、貴方が良くこれからの
人生を考えて決めなさい!」と論されて下さいました。

私はその夜、隈部氏の言葉で寝ることが出来ませんでした。

次回に続く。








0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム