2020年12月28日月曜日

私の還暦過去帳(728)

 移住の昔話、(38)

その夜、皆とレストランから宿泊所に戻ってから、パラグ

ワイからアルゼンチンに再転住を計画して、視察に来てい

る、斎藤氏,折本氏と、パラグワイの日本人移住者の現状

聞いていました。

最初にエンカナシオン郊外に入植して、輸出製品になる油桐,

現地ではトングーと言うペイントの原料になる永年作を植え

付け、その間にトマトやスイカなどの現金作物を植え付けて

生産していたが、油桐の製品も石油化学製品が安価に大量に

生産される様になると、販路が全く無くなり、近郊野菜栽培

も直ぐに生産過剰になり、エンカナシオンの町に日本人が

行商に野菜類を持って売り歩くようになり、販路が無く、パ

ラグワイと言う国自体が、人口が少なく、自給自足の様な国

の市場形態では、営農すればジリ貧となり、日本から持って

来た営農資金も無くなり、最後の手段でアルゼンチンの再

移住を考えて、視察に来たと話を聞いて、今まで私が夢見て

たパラグワイと全く違い、隈部氏が「まず現地を見て、歩

いて、比較検討して、実際の現実の世界を見なくてはなら

ない・・」という言葉を思い出していました。

恩師に「過去を見て、現在を考えて、将来を予測する事が

賢者の思考だ。」と教えられた事を思い出していました。

折本氏が「妻の実家の家族も両親がブラジルに再移住して、

子供達の1人はブエノスで仕事をしていて、一人は私と結婚

して、希望を持ってパラグワイに来たけれど、資金も時間も、

将来の夢もパラグワイの大地に吸い取られ、消えてしまっ

た。」と彼が話したのを聞いた時は少しショックでした。

斎藤氏は満州開拓団の引揚者で、戦後、政府計画移民の斡旋

でパラグワイに再移住して来た方でした。

彼は営農が破綻して、老齢になり先を考えて娘がブエノス

で仕事を始めたので、再移住を家族で話し合い、視察に来た

人でした。

パラグワイのイグワス移住地から来ていた七海氏の家族は

現地で、入植したイグワス移住地に入り、遅れた現地の教育

情勢と、移住地の教育が直ぐに望めないので、子供の将来

を考えて、パラグワイで子供に良い教育は無理と判断して

子供達の将来を考えて、日本に帰国を考えてブエノスま

で来たが、ブエノスの首都は教育の質も良く、自分が

理想とした営農も出来ると言う事を感じてその頃は郊外

の土地も安くて、土地を探していた頃で、私には南米

上陸初日から、自分の将来に直接掛かりあう事柄の重大

さに身が引き締まる感じでした。

その夜、ベッドに入り、今日の出来事を考えていました

が、自分は多くの人の話を聞いて、その体験談を比較す

る時間と、これから旅に出てその実態を自分の目で確か

めることが出来て、その上に自分の将来の方針を決める

事が出来る時間的余裕もあることを感じていました。

明日からは自分の運命を決める旅が始まるということで、

しばらく寝付く事が出来ませんでした。

次回に続く、



0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム