2021年1月6日水曜日

私の還暦過去帳(736)

 移住の昔話、(46)

その翌日の朝に日本人会館の管理人に倉庫を開けて貰い、

パラグワイに行くバックサックを取り出して用意してい

ました。

管理人に荷物に詰めていた船中で読んだ雑誌類があるの

で、欲しいか聞きましたが、日本の雑誌とアメリカで買

ったガン・マガジンがありましたが、管理人さんがガン

・マガジンを見て興味がある様で、アメリカの最新の情

報が満載で、アメリカで売り出されていた、レミントン

マグナムの22口径銃弾の広告があるので、「アルゼン

チンでも同じ弾を買えますか?」と聞くと、「港近くの

銃砲店には、船員達がこずかい稼ぎで持ち込む闇の弾が

何でも買える‥」と教えてくれました。

荷物の分類とかたずけを終わり整理してしまうと、洗濯

もしてから、教えられた海岸通りの銃砲店に散歩しなが

ら歩いて行きました。

店内は骨董品の銃器が飾られて歴史ある銃砲店の風格が

あり、雑誌の広告の切り取りを見せると、在庫があると

言う返事で、値段は高いと言って50発入りの箱を見せ

てくれましたが、ドルで払うと言うと、当時の20ドル

はかなり値打ちがあり、普通のアルゼンチン製の4倍も

する値段でしたが、購入して帰りました。

その弾はそれから随分と長く使えて、持っていましたが、

22口径のライフルにも使えて、30mぐらいの距離か

ら鹿を1発で倒す威力がありました。

明日は移住事業団の職員とチヤカリータの駅まで行き、そ

こで荷物を駅に預ければ、その以後、私の行動は全て自分

の責任で動かなければならない事でしたのですが、ラプラタ

港に上陸して、日本人会宿泊所に来て、自分で歩き回った

事は、これからの南米の長き旅の予行練習となり、自信が

出来ていました。

日本の郷里に手紙を書き、バックサックに洗濯物を入れて

着替えのズボンと、洗面道具、学生時代に無銭旅行で歩い

た経験から、靴は丈夫な皮の作業靴で、つま先には鉄板が

った安全靴でした。テント屋に自分で図を書いて注文し

て作ったバックサックは一番下の底は2重にして、2cm

ぐらいに隙間に隠しポケットを作っていました。

そこにタオルで包んだ拳銃を入れ、弾の10発は紙に

包んでタバコ入れに隠していました。

靴の中には命金の50ドルを両方に入れ、子供の頃か

ら使い慣れた二つ折り、肥後守のナイフをポケットに

入れていました。

財布とパスポートはズボンの内側に隠しポケットを

母親に作って貰っていたので、そこに入れていました。

財布も56年間に盗られもせず、失くす事も無く、母

親からお守りで頂いた5円玉を今でも所持しています。

これで全部の準備が終わり、明日の出発の用意が出来

て、会館の宿泊所の皆に挨拶をして、ボリビアに行く

単身移住者も明日は出発の様で、お互いにこれからの

健闘を称えて別れにしていました。

折本氏、斎藤氏達はこれから南の方面を視察しに行く

と言う事で、パラグワイのエンカナシオン郊外の住所

を紙に書いて訪ねて行けるように教えてくれました。

七海氏家族とは再会を約束して、農場購入が決定した

のでそのお祝いもしていました。

拓大の南米視察の3人は、不在で挨拶のメモを残して

置きましたが、それで全部準備が済み、明日はいよいよ

自分の人生の、パラグワイに出発をする日に緊張して

早めに眠りに就きました。

次回に続く、





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