2021年1月18日月曜日

私の還暦過去帳(748)

 移住の昔話、(58)

アマンバイ農協の移住地はパラグワイでも内陸のブラジル

のマットグロッソ・ド・スル州の経済圏に入る地域でした。

鉄道でサンパウロの都会に繋がり、陸路もバスの便があり、

パラグワイの首都アスンションよりブラジルの影響力が

多くありました。

後輩と連日歩き廻り、見学と視察の行動は多くの移住地選

定と定住する基礎情報を得た事に繋がりました。

一番大きな事は、アマンバイ農協の元になったジョンソン

耕地のオナーで、ジョンソン氏に直接会って話した事でし

た。彼がジョンソン耕地のカフェー雇用移民に日本人を

雇い、コーヒー園が霜の大被害に合い、破綻して日本人

雇用移民が独立して自営農として農園を持ち、原始林を

開墾して、アマンバイ農協を創設して活動する大元に当る

ジョンソン氏の言葉には生きた、多くの経験と農園経営

の多角的な将来を見る洞察の言葉を感じていました。

彼の自宅を訪れて、町まで送ってくれた別れの言葉に

「貴方の成功を祈る・・」という言葉の中には、私の心

に、大きくインパクトがある、意味深長な言葉だと、感

じていました。

彼は日本人達の経営方針、農園に何を作付けして、どの

様に販売して、収益がどのくらいあるか、彼は逐一計算

して知って居たと思います。

彼が「このステビア草はこれからの将来、有望な国際商

品になる、」という言葉の奥には、彼の長い農場経営から

来る、洞察の言葉だと感じていました。

私にはコーヒー園はポンタ・ポラン地域では大霜が定期的

に襲い、壊滅的な被害が出る事を農業気象のブラジルの

歴史と過去のコーヒー豆が、霜の被害で、品薄で高騰記録

からの周期を彼が知っていたと予測していました。

そのことはアマンバイ農協の入植地を見学して、皆が霜

対策に苦心していることは、霜に当らなければ、コーヒー

豆高騰で大金を掴む事が出来て、コーヒー園の資産価値も

高騰する理由だと感じていました。

私が現地視察で得た結論でした。

後輩もアマンバイ農協の視察も切り上げて、首都アスン

ション近郊の農業と、ラ・コルメナ移住地の第1、戦後の

第2入植地の見学に行くので、私も一緒に行動する事を

考えて組合長に報告すると、快諾してくれ、アマンバイ

農協の大豆出荷トラックの同乗させて貰い、コンセクシ

ョン・パラグワイの町まで行き、そこから川船でアスン

ションに行く計画でした。

トラックは昼間は暑いので、夜の涼しい内に夜通しで

満載した大豆を運搬する、その袋の上に便乗することが

決まり、お世話になった方々にお礼をして夕食も済ませて

トラックの出発点にバックサックを持ち、後輩と行きま

したが、組合長から注意があり、荷物を奪われないよう

に、同時に寝ない様に言われ、用心していました。

荷物を藪の中に投げ込まれて、彼等は帰りに荷物を拾っ

て行く手口で盗むので注意していました。

同乗者には若い兵士も居て、トラックが走り出すと、

ライフルに弾をポケットから取り出して、1発、1発装填

しているのを見て、少しは途中での荷物目当てのトラッ

の追いはぎ強盗には安心していました。

私も拳銃を隠しから取り出し、腰に差して、後輩と大豆

袋の陰で荷物を枕に夜風を避けて寝ていました。

次回の続く、




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