2021年1月16日土曜日

私の還暦過去帳(746)

 移住の昔話、(56)

アマンバイ農協の組合員達の入植地を毎日歩き廻ってい

ました。

農大の後輩も目的は同じで、自分の移住先の選定でした。

自分の持てる能力と、資金、視察で得たアイデアも貴重で

、農業で定住して、永年作を植えればまずは移動や、当分

は営農資金も回収は出来ないと決まっているので、行動は

慎重でした。

コーヒーの適地も見学に行きましたが、風が通り、肥沃な

原始林を開墾して開いたコーヒー園は3年目の木があり、

霜の被害が無ければ、直ぐにコーヒー豆の収穫が見込める

畑でした。霜が降りても風通しの良い少し斜面の栽培地で

は冷気が留まる事無く、コーヒーの木に被害が少なくて、

コーヒー園の資産価値も高く、コーヒーの間には大豆栽培

が行われていました。

訪ねて行く途中の道は雨で流されて、しばらくは川床の石

コロばかりの荒れ地で、組合のランクルの四輪駆動車でな

ければとても走行は無理でした。

この様な道は馬1頭で引っ張る、2輪の馬車が車輪も大き

くパラグワイの現住民では重宝されていました。

今でも田舎では農家では使用されていますが、利点はタフ

で、少しの雨でも走れて、川の流れも1mほどの深さでも

走れて、ガソリンも不要で、夜間でも馬がちゃんと家まで

の道を覚えていて帰って来ると言う事でした。

訪ねて行った農家は、家族と移住してきた、おばあちゃん

が居ましたが、わざわざ悪路を訪ねて来たと言う事で、歓

迎してくれ、滅多に飲めないコーヒーをご馳走すると言

うと、近くの谷川から水を汲んできて沸かし、コーヒー

豆を鉄のフライパンで炒っていましたが、コーヒー豆

はコーヒー園の側の木に巣を作っていいる鳥の集めた

最上のコーヒー豆の食べ残りでした。

ジャクーはホウカンチョウ科の鳥でキジの仲間にあたり

ますが、そのコーヒー豆を食べた糞の中から取り出して

来た、彼女が一粒ずつ集めた貴重な豆でした。

鳥達が食べるコーヒー豆は熟れた、広いコーヒー園の中で、

最上の豆を選んで食べるので、巣の下にコーヒー豆を拾い

に行き集めた、地元でも滅多に飲めない豆でした。

ゆっくりと炒って、手でハンドルを回して挽く、旧式な

機械でした。サイフォン式のこれまた昔のコーヒー沸かし

機で、「私は日本ではコーヒなど飲んだことも無く、ここ

に来て初めてコーヒーを飲んだのですが、今ではコーヒー

を淹れる事が楽しく、毎日飲んでいる」と話していました。

ここでは、NHK 国際短波放送を聞くぐらいが楽しみで、

日本の雑誌が、サンパウロ経由で2ヶ月も遅れて来るのを

読むぐらいで、今では孫の成長を楽しみに、ここに暮らし

て居ると話していました。

その時に遥々と、祖国日本から移住して来て、庭の木陰で

貴重なコーヒー淹れて、歓迎してくれる彼女に、ジーンと

来る物がありました。

そのコーヒーの味は、わが生涯で一度だけ飲んだ最高の味

で、今でもその香りとコクのある味を思い出します。

帰りにいつまでも手を振って見送って下さいましたが、

何か無意識に、手を合わせて感謝していました。

その孫達も今では60歳過ぎの年齢で、今ではアマンバイ

移住地も過去の大霜でコーヒー園の壊滅的被害と、その後

台湾桐の植林も樹木の病気が広がり、移住地に留まって

居る方も少ないと聞いています。

次回に続く、






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