2013年4月2日火曜日

私の還暦過去帳(361)

 
  

 訪日雑感(15)

母が現在入居して生活している老人グループ・ホームは、12名ばか

りを3人の介護員が面倒を見る形式のホームです。

全員が元気に歩いて、食事も介護無しで食べる事が出来る方ばかり

です。寝たきりの方は園内の別棟にある、完全看護のホームに入居す
る事に成ります。

ホームは一軒屋で、台所から配膳室まで有ります。各自の個室は6畳

程度の広さで、トイレは自室にはなく、目の前の至近距離に有ります
ので、何も問題は無いと母が話していました。

私はタクシーで園内に入るとドキドキする胸を押さえて玄関に入りま

した。丁度ランチが終わり皆がお茶の時間でした。いつもお世話にな
る方々に挨拶して、皆がおしゃべりしている居間に行くと、母が座っ
ていました。

以前とまったく同じ元気な姿で、賑やかに話していましたが私を見る

と、驚いた様子で立ち上がり、『いつ着いたのか・・?』と言う質問
でした。

小倉駅にお昼前に到着して、ランチを済ませてから来たと言うと、安

心して世話係りの人に頼んで、お茶を出してくれました。それからお
土産を出しましたが、食べ物は、特に甘い物は係りの人に預かっても
らいました。

それからはお茶を飲みながらの、大笑いの馬鹿話などをして皆と楽し

んでいました。
しばらくして、アメリカに居るワイフに携帯で電話して、母が会話を

しばらくしていました。
母も喜んでくれ、ワイフの名前は直ぐに口からは出ませんでしたが、

覚えていてくれ懐かしそうに話している姿をビデオで撮影していまし
た。

そばに母と居ると、まるで時間が飛ぶように過ぎて行きます、夕方に

は熊本の親戚の家まで行かなければなりませんので、余り長居は出来
ませんが、自分の誕生祝に貰った飾りの手製の、可愛らしい写真が入
った額を持って来てくれたので、お土産に頂きました。

すでに自分が住んでいた家はもう無いのに、そこに泊まっていけと勧

めてくれます。昔の記憶が消えているのです、母が子を思い、心配す
る気持ちが痛いほど感じました。
何かジーンとして来ました、正月に帰省して、ホカホカ・マットにコ

タツで茶の間に座りテレビでも見ながらミカンなど母と食べていた頃
を思い出していました。
もうその様な温かい母との光景は思い出と、夢の世界です。

熊本行きの特急時間に合わせて、ギリギリまで側に居ました。
母が居た家はもう見る気力も失せていましたので、帰りの道も直通で

す。
ホームの世話の関係で夕食時間が早いので、お邪魔になら無いように

適当な時間を見て、母に帰る事を話しました。もう一度泊まる事を勧
めてくれたので、携帯で熊本の親戚に電話して、呼んで話をさせると、
納得して送り出してくれました。

玄関出口で固く抱き合い、『またおいで・・!』と母は言葉を掛けて

くれました。
胸がキユーン!として来て、タクシーを呼んで待つ時間に涙が出て来

ると感じて、急いで通りのバス道路まで歩き出しました。

振り返ると手を振る母親と永年世話になっている係りの方が、涙でし

ょぼつく目に写りました。
心の中で『元気でな・・!また直ぐに来るからねー!』と叫んで手を

振って答えていました。

小倉駅から特急列車に乗車してしばらくは気が抜けた様に黙り込んで

窓の外の景色を眺めていました。

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