2013年3月30日土曜日

私の還暦過去帳(360)


 訪日雑感(14)

大阪で乗り換えて、博多行きに乗りました。

時間的には丁度良い頃に、小倉駅に到着致しますので安心でした。
やはり列車に乗ると昔の蒸気機関車で走った頃を思い出します、かれこれ
50年以上も昔ですから、学生の身分では特急などは乗れませんので、
普通急行に乗車して東京に上京していました。

その頃は、門司と下関の海底トンネルは電気機関車に切り替えてトンネル
を越えていました。時間が掛かりますので、ホームに下車してお茶やミカン
などを買っている時間が、たっぷり有りました。

私の郷里は大牟田市でしたので、そこのトンネルで1回機関車の切り替
えをして、今度は岡山駅で東京までの電気機関車に切り替えていました。

そこでも切り替えの時間が有りますので、蒸気機関車の煤で汚れた顔など
を洗って通称カラス列車におさらばして、ホッとしていました。

電気機関車に接続が終わり、ベルが鳴り、電気機関車の独特な発車の
警笛でしたが『ピー!』と言う音を聞くと、やれやれー!と感じたものです。

スピードも上がり、煙にも悩ませる事もなく、姫路を通り大阪に到着すると、
これまた安堵して、東京が近くなった実感を持った事を覚えています。

車内で食べる弁当は、当時は食べ盛りですから、大きなお握りと巻き寿
司などを作って貰っていました。定番の玉子焼きと、沢庵のおかずでした
が、それが一番美味しいと感じていました。
時には高菜漬けの葉に包んだお握りや、中に塩昆布やタラコを焼いた物
も入っていました。

それを母親が出かける前の日から用意して持たせてくれていましたので、
東京に着く前に全部食べ終わると、次ぎはいつ食べられるか・・・?と考
えていました。

18歳になって直ぐに上京して、郷里には合計2ヶ月も帰郷はしていな
いと感じますが、その大牟田の家も今は無く、小倉の家も母が老人ホー
ムに入居して、全ての家財を整理して人手に渡ったので、わが故郷の家
はもう在りません、手足を伸ばしてコタツに寝てテレビを見ていた帰郷の
私の姿はもう在りません。

モノレールで母とタンカ市場に買い物に出て、小倉駅周辺を歩いてソバ
を食べ、お茶のつまみに、私の好物の茶饅頭を買い、散歩した事はも
う望めません・・、
全てが過去に消えて、今では元気な母の顔を見るのが今では一番の楽
しみです。

私も太平洋を飛行機で渡って、日本を訪問できるのはいつまでか・・?
ふと考えていました。

新幹線では門司と下関の間を通過するのも一瞬です、小倉駅に到着し
てお昼のランチを九州ラーメンで満たすと、駅構内のパン屋さんが丁度
焼き立てのアンパンを出しているのを見て、これも衝動買いで食べたい
一心で、中が小倉餡のたっぷり入ったパンをパクついていました。

モノレール駅のコインロッカーに要らない荷物を入れて、お土産だけを手
に、丁度出発するモノレールに乗車いたしました。

小倉駅周辺はまったく変化はありませんでした。モノレールの上から見
る市街はなぜかくすんだ古ぼけた感じになっていました。それはビルな
どを建築する余裕も無く、同じ古い建物ばかりが並んでいたからと思い
ます。

モノレールの終点から2つ前の駅で降りて、いつもそこからタクシーで母
が居るホームを訪ねますが、今日もモノレールの駅を出たら、直ぐ下に
タクシーが客待ちをしていました。
タクシーに行き先を告げて走り出した道を見ていたら、ふと・・、あの辺り
の歩道を母と買い物に歩いたと感じ、あの道を右に曲がると母が住んで
いた家に行くと眺めていました。

何か胸の中で、ジーン!と来る物が湧いて、
そして、あと数分で母に会える実感がたまらなく感じました。

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