2013年3月28日木曜日

第3話、伝説の黄金物語、(66)

ユダヤ人逃亡者の受け入れ、

欧州戦線の緊迫化した情勢はブラジルの社会にも大きな影響を与えていた。

欧州で勢力を拡大して来た、ドイツのナチス全体主義、ファシストや、共産
主義運動などがブラジルは世界恐慌の影響を受け、特にコーヒーの価格が
暴落した影響で、ブラジル政治は、結果として生じた財政危機の問題だけ
でなく、ドイツのナチスやイタリアのファシストを熱望する小数の軍人と、ソ
連の共産主義の信奉者の間の衝突問題などに脅かされていた。

この様な問題を裏にブラジルが抱えていたのであるが、フランスの降伏以
降は、ユダヤ人達が南北アメリカの大陸に逃げ出す避難民として動き出し
ていた。
それはナチスドイツのユダヤ人排斥運動と、ユダヤ人をゲットに押し込め、
強制収容所に連行する悲惨な状態がユダヤ人達の中にも危機として広が
り、南米の伝手を頼りに逃亡の道を探してブラジルに入国していた。

当時、欧州の混乱する世界で、一民族が流浪に出る事は逃げ場を求めて
新天地を目指して、裸同然の有様で逃亡していた。

先日より私はメキシコに旅をしていて、当時のドイツやロシアからの多くの
難民がメキシコを経由してアメリカやカナダに逃げていた事を知りました。

また人知れずメキシコで生涯を終えた人も居る事を知り、メキシコの地で生
き延びて現地の女性と結婚して家族を作り、現地に根を張り、ささやかな幸
せを手にその地に骨を埋めていった人もいることは、政治的な混乱と、それ
が生み出した戦争と言う中での出来事と思います。

私の知り合いのユダヤ人女性の両親がドイツからアメリカを目指して逃げ
たが、中米のプエルトルコ迄逃げて、アメリカ本土入国が果せず、その地に
住み着いて子育てして、その子供がカリフォルニア州に来てアメリカ人とし
て生活していた人がいました。

第二次大戦中に日系人のアメリカでの強制収容の時は、自分が歩んだ惨
めな思いを身体に刻んでいたので日系人家族を手助けしていたと聞きま
したが、当時の世界では多くの人が逃れてくる人々に援助と救いの手を
差し伸べていたと感じます。

しかし、ブラジルのナチ・ドイツの活動分子は、ドイツ本国からの連絡で、有
力逃亡ユダヤ人達の逮捕、抹殺、ユダヤ人達が持ち出した機密情報の回
収と分析などを秘密のうちに活動していた。

ダイアモンド商会の社長は今回のユダヤ人の一人は重要な情報を隠し持
っている気配で、それに気が付いたドイツ情報機関が、ブラジルのナチ・ド
イツの狂信者達に抹殺を依頼した様な情報が、イギリスの情報機関から知
らされて富蔵達に連絡して来た。

その件はスミス商会の社長や幹部からも、重要人物をアメリカに逃がす手
筈が整えられて居るという事が伝えられていた。
大きく重要な情報が持ち出されて来たと富蔵は感じていた。

他のユダヤ人の家族は親の親類がチリの金鉱山開発で財を成して、南米
に脱出させたと言うケースであった。多額の金銭が使われ、フランスから、
スペインに入り、ブラジルの貨物船に潜り込んだ様な状態であった。

あまり時間が無かったが、全てが富蔵達の関連するビジネスと直結してい
たので、その支援をスミス商会に連絡していた。

富蔵達は今までの経験を生かして、組織を活用して直ぐに行動を開始し
ていた。貨物船がサントス港に入港する前には全ての用意が整っていた。

まずサントス港から安全に入国させ、直ぐにサンパウロに移動して、そこ
から直ぐにチリのサンチャゴまでアルゼンチンのメンドッサ経由で飛ぶと
言う事を決めていた。

陸路では時間がかかり、危険が多すぎるので、安全を考えて空を飛ぶの
が一番と感じていた。
重要人物はそこからアメリカ船舶の貨物船に乗船して、ロサンゼルスに
行くという手筈であった。
その手筈に貨客機が一機用意されていた。貨物が無く乗客ばかりなので
予備の燃料タンクが取り付けられ、長距離を給油無しで飛べる様にしてあ
った。

一番の問題はサントス港の上陸であった。全て船舶名から何処の波止
場に接岸する事まで判明しているのであるから、狙われる可能性とその
危険性が多分にあった。

飛行機の手配は僅か3名しか計画を知っている者は居なく、サムと富蔵
とモレーノの3名が立案してスミス商会保安係りの統括幹部だけに知ら
されていた。

その件でスミス商会に、ブラジルの司法関係者とイギリスの情報機関から、
危険注意の知らせが来ていた。
ブラジルのナチス狂信者が動いている事が判明していた。それとブラジル
の軍関係者にも協賛者が居る事が知らされて来たので、サントス上陸が
一番危険な場面となりそうであった。
それは誰もが感じた事で、危険な上陸と思っていた。

港で昔世話になった情報提供者達にも協力を頼み、港周りの動きに探り
を入れてもらったが、しかし、そこからも非常に危険な状態で海軍幹部に
もナチス狂信者が居る事が判明していた。
直ぐに皆が集まり相談したが、貨物船が入港間際の沖合いで小型船に
乗り換え、直ぐに小型水上飛行機でサンパウロのサムの飛行場側の湖
まで飛ぶと言うことが決まった。

これも危険な上陸であったが、直接狙われる危険性は減ると感じていた。
行動が開始され、全ての準備が完了し、サントス港に向かって車を走ら
せた。

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