2013年3月21日木曜日

私の還暦過去帳(357)

 

 訪日雑感(11)

久しぶりの新宿駅です、まさに人に酔うという感じがありました。
日頃はのんびりとしたサンフランシスコの郊外です、この駅は空気が濁
って息苦しい感じも致しました。
全てをミキサーに掛けて、ぶちまけた感じが致します、呆然と人の流れ
を見ていました。体感として東京の混雑と過密さと、騒然とした喧騒の
流れです。

昔には感じる事も無かった印象が心に焼き付いていました。
コンクリートでかさ上げした高層住宅のマンションとオフイスビルの乱立
です。山手線の車内から眺める風景もまったく激変と言う思いが致しま
した。
これから日暮里の友人のお姉さんが、東京でも珍しくなった公衆浴場の
銭湯を経営しているので、そこを見学に行くつもりでした。
友人から『一度訪ねてくれ・・、』と勧められていました。
今では東京で1軒だけとなった、背中流しのサンスケが居ると言う銭湯
です。
私が東京で銭湯に通った頃は、最初に東京に出て来て風呂も無い狭い
部屋の学生相手の下宿でした。そこに僅かな期間滞在していましたが、
しばらくして、住み込み書生の仕事を探してそこに引っ越してからは一度
も銭湯で風呂を使った事はありません。

混雑する山手線の車内で、かなりの人が無言で携帯電話のキーを使い、
メッセージを書いているようでした。夕方の家路につく人達かも知れない
と感じて見て居ました。
お風呂屋の4時開店前に訪ねて来てくれと言う話でしたので、時間に合
わせて行くと、歓迎してくれ、早速お茶を頂いて、開店前にお風呂屋の
中を見せて頂きました。

日暮里駅周りには、ここだけしか無いという銭湯で大きな建物でした。
中はお決まりの高い天井と、広々とした浴場の洗い場があり、湯船は
2槽有りました。
一歩中に入り、昔の学生時代を思い出していましたが、当時は時間帯
で相当混雑する様でした。東京に来てこんな銭湯を見学できた事にあ
りがたいと思っていました。

開店前の誰も居ない浴場です、女湯の方も見せて頂きました。
ご主人が『ここには滅多に男性は入れない所だから・・』と笑っていまし
た。記念写真を番台に座って写して貰いました。生まれて初めてのお
風呂屋の番台に座りました。
感慨深い気分でしたが、これが初めてで最後だと思いましたが、良い
記念となりました。

入り口の前には、かなり年配のご婦人がお風呂支度をして待っていま
した。カゴに入浴道具一式全部入れて、着替えの包みを持って、
『あと10分ぐらいだ・・』と言って待っていましたが、ご主人の話では常
連さんと言う事でした。
一番風呂に入浴に来る人が結構沢山いるということでしたが、400円
のお代では、お釣が来ると思いました。

やはり日本人には生活の中に染み込んだ入浴ですから、広い浴槽で
手足を伸ばして暖かい湯に浸かる事は切っても切れない事だと思い
ました。

昔、ブラジルのリオグランデ・ド・スールの田舎に同期の友人を訪ねた
ら、お風呂は日本式の湯船でした。先ず開拓して家を建て、一番に台
所と風呂場とトイレだと話していました。

開拓初期はハンモックで寝た事もあると言っていましたが、激しい労働
の疲れを癒すのはやはり日本式のお風呂と思います。彼が話していま
したが、サンパウロからトラックに積んで行商宜しく、1軒、1軒とお風呂
を売り歩いて来たと話していましたが、皆が飛びついて購入したと話し
ていました。

それまではドラム缶での入浴だったと言っていましたが、私もそのお風
呂に浸かり、こんな山奥の開拓村で、薪で焚くお風呂に首まで暖かい湯
に入り、家の周りに植え付けられたリンゴ園を吹き抜けて来る風の音を
聞きながら、日本人の生活とお風呂の繋がりの強固さをしみじみと肌
で感じていました。
その日の帰り、日暮里駅から山手線に乗車して渋谷に向かう車内でふ
と感じたのが、日本人の体臭が少ない事です。
昔、アルゼンチンのブエノス・アイレスの地下鉄車内で、強烈な体臭を
感じた事を思い出していました。

何とも言えない、強烈な臭いでした。まだその当時、慣れない事もあり、
彼等が何を食べているかとヘキヘキして乗車していた覚えが有ります。

渋谷までの車内で新宿駅から乗車して来た、男性の外人さんが側に来
た時、一瞬、アレー!と感じました。

私の敏感な鼻の奥に覚えがある臭いがしていたからです。

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