2013年3月16日土曜日

私の還暦過去帳(355)

『12月7日、ハワイ真珠湾攻撃記念日』

12月7日は、日本海軍連合艦隊空母群が、ハワイ真珠湾攻撃を記念する
『Pearl Harbor Day』という日である。

攻撃開始時間は、日本時間では65年前の12月8日午前3時23分、ハワイ時
間では7日午前7時53分でした。

連合艦隊空母群より発進した、合計183機の急降下爆撃機と戦闘機による
第1波と、それに次ぐ167機による第2波の艦載機の奇襲攻撃にアメリカ側
では民間人68名を含む2,403人が亡くなり、1,178人が負傷しました。

『トラ・トラ・トラ』と真珠湾に終結していたアメリカ太平洋艦隊総攻撃が開始
され、当時最高の性能が在った酸素魚雷と猛訓練のパイロット達が職人芸
で、一隻ずつ確実に命中、被弾させた急降下爆撃機と雷撃機の攻撃で、ア
メリカ艦隊は・・、
戦艦5隻を含めて18隻の船が沈没または大破、350機の飛行機が破壊、大
破の損害を受けました。航空魚雷が何本も命中して、最も被害が大きかっ
たのは沈没した戦艦アリゾナでした。
その火薬庫の大爆発で、真珠湾の海底に鎮座沈没で1,102名が命を失い
ました。

私が実感と体感でこの12月7日、日本海軍が攻撃した『ハワイ真珠湾攻撃
記念日』を思い出します。
最初の実感は来たばかりの年で、32年前の12月7日の事でした。

友人が共同で開店準備をしていた店の建築許可を貰いに窓口に行って、
そこの担当者が、申請許可を貰いに行った友人をつかまえて、『今日は何の
日か知っているか?』と言う質問に、『さて・・!何の日か・・・?』と答えたら、
『Pearl Harbor Day』だと教えられ、『この腕を無くした・・』と見せ付けられたと
聞いて、実感として先ず感じました。

23年前に2度目の家に引越しをしてから、隣の住人が12月7日の早朝か
ら私の左側の塀に星条旗を高々と掲揚していました。
嫌がらせと直ぐに感じましたが、口先で偏見の言葉を吐き、そして差別して
いました。
私もそれを感じて彼が死ぬまで一度も言葉を交わす事は在りませんでした。

私は現在はアメリカに帰化して、アメリカのパスポートで祖国日本を訪ねます。
しかし、アメリカ人と議論する時は堂々と祖国日本を擁護致します。

私の持論は・・、

『貴方がたアメリカ人は、大和民族の日本人を侵略者で世界制覇を狙う軍国
主義国家であったと決め付ける事は如何な事かと、反論致します。』

当時、昭和14年7月、、日米通商航海条約はアメリカに破棄され、日本政府
は非常な圧迫と政治的な緊張下での立場を受けており、昭和15年5月頃
は、アメリカの大艦隊が、ハワイに集結していたという事実を知っているかと
話します。

「アメリカ」「イギリス」「オランダ」が対日資産凍結を同じくして、日本企業がこ
れらの国で預金口座、貿易決済などの資金も全て凍結され、原料資源輸入
のための支払いが不能となり、また輸出の代金も日本に送金できなく、貿易
決済資金が無く、結局日本は輸出入を完全に閉ざされたのを知っているかと
質問すると、

大抵のアメリカ人は答えが在りません。

当時の列強が緊密に連絡と連携をして対日経済制裁を遂行され、日本が自
滅の道に追い込まれた事を知っているかと質問致します。

これも答えが無いか、彼等は答えに窮します。

日本はアメリカやオランダ領のボルネオ油田などからの、全てのオイル供給
を望めない様な有様の窮状では、石油貯蔵もどんなに節約、統制配給して
も1ヵ年で底を突き、重要産業は全て破壊され、生産停止され、国防上の備
蓄船舶燃料も2年以内には完全に底を突き、海軍艦艇はただのスクラップに
なる事を待ち、国家経済を全て失くす様な有様で、日本人がこの地球に座し
て死を待ち、国家生存権をこの世界から失くす事をしなくてはならなかったか?

この質問にも大抵は答えなど在りません。

当時の日本は資源と言う物は、殆ど無く、『絹と絹糸の産業』で日露、日清戦
争などの戦費を捻出した様な有様で、鉄鋼資源、石油、アルミ、ゴム、錫、銅
などの多くの非鉄金属、綿や羊毛など全てを供給途絶され、枯渇して国家と
言う存在を否定する列強の制裁から生き残る戦いに、彼等、自ら日本を戦争
に引きずり出したのではないか? 
それを予測して準備していたのではないか?貴方はそれをどう考えるか?

この質問にも大抵は返事が在りません。

1940年(昭和15年)アメリカや英、蘭、国防省は陸海空の一般戦備ならびに
その南方諸地域での連帯と提携は緊密と強固になり、軍事拠点のアラスカ軍
事根拠地の建設増加、12月には51ヶ所の飛行場増設、改修工事の予算を
決定、日本を目標にした戦争準備と事前設営がなされ、またオセアニア、南太
平洋での米英豪蘭其他の陸海空軍の大拡張が継続され、日本を目標とした
軍備拡張がなされていた事と、それと同時に・・、

米国海軍省では1940年(昭和15年)1月以降に艦艇2831隻の建造契約を
して、現在968隻を建造中なる旨発表しました。

1941年(昭和16年)10月下旬には米海軍の建造状況に関し、就役せる戦闘
用艦船346隻、同じく建造中か契約済345隻、10月1日現在海軍飛行機
4535機と製造中のもの5832機なる旨発表していた。

アメリカ政府は日本を経済的な麻痺状態に追い込むと同時に、米国は対日
軍備の増強を続け、日本側は鉄も石油も多くの産業資源の輸入を止められ、
その軍事力は日々衰弱し破滅する一方であったが、米国はその国力を傾け
て各国と協力と同盟して軍備大拡張に邁進していたのであるが、貴方はそ
れを知っていたか?

この質問にも大抵は返事が在りませんし、知らない人ばかりです。

東京裁判では、キーナン検事が冒頭陳述で述べている事を我々日本人も考
えなければなりません。

『彼ら日本人はは文明に対し宣戦布告をしました。
 彼らは起訴状に列挙されている偉大な民主主義諸国に対し
 侵略戦争を計画し、準備したのです。
 世界の支配および統御が彼らの共同謀議の趣旨であったの
 です。』

『日本が世界を支配しようとしてアジア各国に侵略戦争を起こした』という戦
後の東京裁判史観と、それに同調して、日本人を卑屈な立場に考える人も
いる事を客観的にもう一度考える事が重要と思います。

日本人にも民族自衛の立場と独立した国家としての価値観があると思います。

東京裁判でインド人の判事がただ一人、国際法の立場から日本を弁護し、
擁護した弁論で連合国の判事達に対抗した事を忘れてはいけないと思い
ます。

彼の主張は『無罪』でした。

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