2012年11月5日月曜日

私の還暦過去帳(319)

『もと百姓が見たインド』

1月9日の朝は7時ごろ起床しました。
前日の大浴場でのお風呂ですっかり旅の疲れも取れていました。
ホテルの日本人団体が滞在して居るので、私達夫婦にもそのおこぼれが来
ました。 朝食は何と・・、日本式の朝ご飯でした。

お粥に、お味噌汁はおジャガと大根の田舎風の具でした。
それに二つ目の卵焼きと、ほうれん草のおひたしまでありました。
これで十分です、お醤油もちゃんと用意され、インドのブッタガヤまで来
てこんな朝食を食べるとは、驚きでした。

ホテルも日本人団体客が泊まると、朝のバフェースタイルの朝食はこんな
物を出すようです、おかげで朝から、たらふく食べてしまいました。
朝食後にホテルのロビーで、出掛ける用意をして新聞を読んでいました。

迎えの車が8時半頃に来て、それから各国の寺院を見て回りました。
それぞれ工夫を凝らした飾り付けで寺院を飾って在りました。
私は100ルピー札を小銭の貨幣で100ルピー交換していましたので、
各お寺の前にいる物乞いの人々のお皿に、カラカラと2~3ルピーずつ寄
進していました。
中には驚いた事に、お皿を前に置いて悠々と昼寝をしている御仁も居まし
た。ブータンから来た感じのご婦人が、心配そうに座り込んで覗き込んで
いましたが、昼寝をしている事が分かると、起こさないように静かにお皿
に小銭を載せていました。
その後にSUJATA村を見学に行きまして、初めてインドの農村地帯の農道を
歩きました。小学校を覗いたり、生徒が勉強している教室で、生徒と話を
したりして来ました。日本寺の影響で昔、寺の僧侶が日本語を学校で教え
たという事で、今でも日本語教育が続いているという事でした。
貧しい寺子屋の様な学校でしたが、請われてインドの田舎では大金ですが、
僅かなお金を寄付してきました。

今回初めて田舎の農道からあぜ道まで入り、植えられている野菜や作物の
出来ぐわいを見ました。機械力はあまり使われていません、かなりの人手
で管理されていました。一番感心したのはジャガイモ畑が綺麗に草一本も
無く、隅々まで管理されていたのには驚きました。

まるで昔の日本の田舎を思い出し、風景が似ている事を感じました。
農道の両側にある農家を見ると、壁は牛の糞を平たくして物が、びっしり
と貼り付けてあり、乾燥して出来上がった物は重ねて、その上に屋根を被
せて燃料としてありました。のんびりと木陰でインドチャイを入れて飲ん
でいる人も居ましたが、何かインド時間で生活している感じでした。

側のため池の周りにはパパイヤの木が植え付けられ、大きな実がぶら下が
って居ました。野菜もナス、キユーリ、キャベツ、大根などそれと、あぜ
道にはそら豆が植えられて居たのにはこれも驚きました。
それは、まったく同じ事を日本で昔、見た事があるからです。整然と綺麗
に管理されて居る畑を見て、インドの農村がまだ十分に機能して、多くの
インド人の命を養っていると思いました。

収穫が終わった稲藁を積み重ねて、日本でも昔見た様な丸い貯蔵の囲いが
幾つもおいてあり、農家の中庭を見ると、その脱穀した稲藁を刻んで家畜
の餌にしているのを見ました。のんびりとニワトリがヒヨコをゾロゾロと
連れて歩き廻り、ヤギが大きな乳房を垂らして乳搾りをされている光景も
見ました。
なんだか50年前、私の福岡の郷里で見た光景でしたが、何か懐かしさが
込み上げて来ました。牛の群れが農道をゆっくり年寄りに追われて歩いて
いました。インドでも最貧州と言われる、ビハール州ですが、金銭的な貧
困はあるが、心豊かさを農民の多くが持っていると感じました。

案内してくれた運転手が『金持ちは町に住んでいるので、ここで見る人達
は皆同じレベルの農民達だ・・』と話してくれました。
帰りに車を待たせていた所まで来ると、農家のどこかの奥さんと言う感じ
の婦人がサリーのすそをからげて、井戸端の横で牛を洗っていました。
手押しポンプでバケツに水を入れ、藁でごしごしと牛の背中を擦っていま
したが、牛は気持ちよさそうにして座り込んでいました。

帰りに細長い橋を渡り橋の中ほどまで来た時に、遠くに青々とした農地が
広がっているのが印象的でした。

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