2012年10月26日金曜日

私の還暦過去帳(316)


『もと百姓が見たインド』

1月8日の朝は6時に起床でした。
朝日が窓から差し込んでいましたので、カーテンを開けると広い庭の芝生が
朝露に濡れて輝いていました。
朝食は昨夜頼んだ、お粥が出て来て、ホレンソウのおひたし、ひじきの煮物、
日本式の玉子焼き、焼き海苔、お味噌汁などを堪能して満足の朝食でした。

それにしても、こんなインドの片田舎で食堂のボーイに給仕されて食べた
日本食など、これが最初で最後と感じました。

7時半には迎えが来たと連絡があり、玄関に行くとすでに車が来ていました。
今朝は先ず近くの仏陀が沐浴された池を見に行きました。
綺麗に掃除された公園でした。VENU VAN (Bambu Garden)と言う名前でし
たが、早朝で私達二人だけで見学する事が出来ました。

近くにお堂が在り、仏陀をお祭りした所が在りましたが、タイの信者が寄進
したという事でした。これからあちこちに、その様な寄進されたお堂やお寺
が在りましたが、入り口の前は屋台のチャイ屋が在り、原色のみやげ物品が
並んでいました。そこから仏陀に関連する施設を見て歩きましたが、これが
2千年近くも前に建設された物とは思えませんでした。

Rajgir、Patna、Nalandaと歩きましたが最後はBuddha Gayaまで見学しなが
ら車で歩きました。途中の街道筋で、農家の庭先と思われる所で、家族全員
が稲を乾し挙げた束を脱穀していました。驚いた事に、50年前の日本の田
舎と同じやり方でした。2本の大きな竹筒を並べて、そこに稲藁を叩きつけ
て、脱穀していたからでした。

それと、手回しの扇風機の大型で、籾を風力選別していたからでした。
その他、足踏みのドラムを廻して二人並んで、これも・・、のどかに稲束を
こさぐ様にして籾を収穫していました。
私の耳には単調な、ギーコン、ギーコンと言う足で踏む音が、子供の頃に見
た田舎の脱穀風景を思い出していました。日本と違う事は田のあぜ道に植え
てある椰子の木と水牛がのんびりと溜まり水に寝そべっている事でした。

街道ですれ違う大型バスを何台も見ました。中には旗を立てて、吹流しをし
て、遠くネパールやブータンからの参拝者達がバスの屋根に荷物を積み上げ
て中には寝具なども見られ、彼等の仏教遺跡巡礼の長旅を感じさせてくれま
した。
途中のNalandaでは多くのネパールからの参拝者と遇いまして、驚きました。
ここには壮大な仏教大学が在った所です、モスラムが侵略した12世紀時期
に破壊されたと言う事でしたが、施設を燃やすのに6ヶ月も掛かったという、
その巨大な設備の素晴らしさを感じさせられました。

ここまでシルクロードを通り、訪ねて来て学び、仏典を持ち帰った僧侶に敬
服致します。信仰の情熱とその行動力には、人々を駆り多々させる何かが有
ると感じます。
日本の和服の様な感じのゆったりとした袖で、中には杖を付いて、両側から
支えられる様にして来ていた年寄りも居ました。手には大きな数珠を持ち、
何か手でクルクル廻して経文を唱えている人も居ました。

昔の古の世界で壮大なレンガ建ての建物の中で、多くの学生や僧侶達が
歩いていたと、それを思うと・・・、小高い建物の上から見渡して遠く、昔
の歴史を焼け焦げたレンガの肌で感じました。

参道の帰り道で、歩き疲れて、カンナの花が綺麗に咲いた花壇が在りました
が、脇道に在るトイレに寄ったら、私の顔を見ると、係りが有料トイレの
カギを開けてくれました。観光客用のトイレと思いましたが、水洗で一応は
全部揃って居ました。しかし、余計なものは馬鹿でかい「蚊」が歓迎してく
れたのには参りました。

用を足して外に出ると手洗いの水と、あそこを洗う水が用意されていました。
小さな紙タオルを差し出してくれ、サービスは満点でした。
お代は10ルピーをおいて来ました。

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