2012年10月15日月曜日

私の還暦過去帳(312)


『もと百姓が見たインド』 

デリー市内でも下町の活気は飛び抜けて、その凄まじさが直に肌で感じます、
何しろその人出が多いこと、商店の数の多いこと、行商や屋台風の数も凄い
物です。
早く言えば、良くぞこんな店でと感じる窓口で商売をしていました。衣服類は
原色の色彩で、まさに目を奪われる感じです。

市場から帰って来て、私は今までの旅行の整理とノートなどの書き込みの用
事も有りましたので、次男のアパートでコーヒーでも入れてゆっくりしていまし
た。ワイフと次男の彼女は髪洗いと買い物に出て行きました。
静かな部屋で、外の騒音が響いて来ますが、物売りの通る声が何か時々聞
こえます。
外のベランダに出ると、それはリヤカーを引いた廃品回収業者でした。
新聞やダンボールなど沢山積み上げていました。夫婦で商売している様で、
紙類が高いインドでは良いビジネスと感じました。
午後遅くなり髪洗と買い物を済ませてワイフ達が帰りましたが、お土産にす
るベッド・カバーを買って来た様でした。

その日のランチは持ってきた日本そばで、ワイフが軽い食事と、暖かいソバ
汁でソバを食べましたが、ツルリと喉を通るソバが美味しく感じました。
その夜は次男の希望で日本料理のレストラン田村に行き、夕食を食べまし
たが何でも在るメニューには有り難い感じでした。

日頃からインド食ばかりですから、好きな物を注文しなさいの声で、目を輝
かせてメニューを見入る次男の姿に、やはり日本食で育てたと感じました。
次男の彼女も揚げ出し豆腐と巻き寿司を注文していました。
天ぷらも大きなエビが付いており、それとウナギどんぶりで食べる次男の
姿を見て高校生時代に、親が驚くほど食べていた事を思い出しながら見て
いました。

レストランのお客にロシア人が多いので次男に聞いたら、近くにロシア大使
館が在り、かなり名前が知られているからと話していました。
隣の畳席もロシア人でしたが、ビジネスでインドに来る外国人の中では、
今ではロシア人が目立つと話していました。

飛行場でも、近くで何組かのロシア人のグループを見ましたが、何か押し
の在る態度が印象的でした。一度など平気で並んでいる人並みを無視して、
飛行機に乗り遅れると言いながら、係りに何か掴ませて5~6人のロシア人
が最短で通過していったのには驚きました。

その夜は次男のアパートに帰って来るまで、タクシーの窓から眺めるデリー
の町並みの変化の激しさには驚き入っていました。道路をのんびりと歩いて
いた御牛達が見られなくなり、横断歩道の陸橋が出来て夜間の走行スピー
ドもかなりの速さでした。

帰宅して熱い日本茶を入れて新聞でも見ていました。
明日の1月7日は、いよいよワイフと二人でブッタ・ガヤーの訪問巡礼に出
る日です。次男も年末休暇が終わりオフイスの仕事に戻り、次男の彼女も
研究の仕事で整理しなくてはならない資料を抱えて居るようでした。

その夜は早目に床に入りましたが、次男が遅くまで起きて、パソコンを叩く
音がしていました。

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