2012年10月6日土曜日

私の還暦過去帳(308)


  『もと百姓が見たインド』

エローラ訪問の感激を持ってホテルに帰りました。
太陽も輝きを増して、南インドのデカン高原の日差しを強めています。
ゆっくりとして、ホテルのレストランに家族と座り朝食を食べることに致しました。
ボーイが『オカユ・・・タベル?』と聞きますので、何事かと聞き直すと、『お粥』
の事でした。早速にそれを注文いたしました。

昨日の夜に食後のフルーツとして食べたグワバが良くなかったのか、少しお
腹の調子がいつもと違うからでした。私だけが調子が悪いのです、他の家族
は何もトラブルが在りませんが、私だけお粥をいただく事にしたのです。
ボーイの給仕が言う事には、日本人で沢山ここまで来ると体調を崩す人が多
い様でお粥の注文があると話していました。

少し大きめのお鉢に注いで来たのは、長いインディカ米の中国粥の様な感じ
で、とろとろに炊き込んで有りました。軽く塩をパラパラと振りかけてスプーン
で頂きましたが、空腹と重なり美味しいものでした、それに野菜スープが付い
てきて、まるでお味噌が入っていたら日本の田舎の朝食です。

食後のフルーツはパパイヤの甘く熟れた物でした。これは久しぶりに食べた
美味しいパパイヤでした。外の日差しが強くなり、ホテルの前の通りも賑やか
で、行き交う車が激しくなりました。バンガロー風の建物が点在する静かな中
とは対照的でした。
食後は裏の庭から遠望できるエローラの洞窟群を見ながらゆっくりとしてい
ました。

遠望する景色の中に沢山の人が行列して参拝する姿が見えましたが、人の
波を避けてから、午後にまた見学する予定でした。
私は用心して持参した薬を飲んで少し、昼寝をする事にしました。気温も上
がり1月とは言え南インドのデカン高原の気温はぐんぐんと上がりました。

ランチにワイフが誘いに来ましたが、お粥を沢山食べましたので、そのまま
寝ていましたが、次男達とワイフは隣の部屋で、ベランダに持ってきて貰った
地元のインド料理を食べていたようでした。昼下がりに、緩くクラーを掛けた
部屋でのんびりと昼寝をする事が出来ましたので、体調も戻り安心致しまし
た。
次男達は午後遅くなり見学の人波が切れた3時ごろから、良く寝ていた私を
置いてまた次男の彼女の説明で、詳しく内部の彫刻などを見てきた様でした。
私は目を覚ましてからホテルの前の通りに出て散歩いたしましたが、賑やか
で外国人のバックパッカー達も沢山見る事が出来ました。彼らはローカルの
バスで来ていたようでしたが、屋台でインド・チャイを飲みながら何か食べて
いました。

私もそれを見て昔、放浪して歩いていた時に同じ様な格好だったと思い出し
ていました。二度と時間は戻りませんが、私は若い人生で、40年も前にそ
れが出来た事に感謝していました。
旅は自分を見詰め直し、考え、時には人生を反省する時間を与えてくれる
と思います。

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