2012年9月27日木曜日

私の還暦過去帳(304)

『もと百姓が見たインド』

街道を車が疾走している時に、坂道で急に停車いたしましたので前方を
見ると、大型トラックの谷底転落の事故処理中でした。
驚いた事に、交通整理などは一切在りませんので、かなり車列が長くな
っていました。クレーン車が2車線の半分を止めていたのですが、よく
見ると誰かが一人で、交互に車を流していました。まさにインド的悠長
さで、忍耐強く適当に警察も関与せず動いていました。

インドを車で走っていると、日本などでよく見る警察のパトロールカー
が居ない事です。それと警官と言うと、旧式な戦前使用された英国製の
エンフイールド・ライフルを背中に担いで、自転車でゆっくりと走って
いる姿を見ただけでした。インド人が話してくれたのですが警官はいざ
と言う時意外は、実弾などは装填していないので、警官のシンボルとし
て、権威の象徴としてライフルを背中に担いでいると言う事でした。

一度交通渋滞で側を走っていたら、ライフルに装填する銃剣を腰の後ろ
に挿して、背中にライフル担いで汗びっしょりで自動車と並んで走って
いたので、日本では先ず警察官でしたらオートバイと思いました。

しかし、私がデリーから、次男と別れてワイフと二人で釈迦の聖地、
ブッダ・ガヤーの巡礼に出た時に、物凄い渋滞に出会いました時には、
入り乱れた車を整理するのに、警察の上官の制服を着た指揮官が命令し
て、警官がライフルを前に構え、並んで動かない車を蹴散らして大型

トレラーを通過させていました。何しろ2車線の狭い道に、大型の鋼材
満載のトレラー車が2台も居るものですから、それはどえらいことです、
指揮官の警官は竹の1mぐらいの棒であれこれと指図していましたが、
腰の横にはこれも英国製のステーン自動小銃がぶら下がっていました。
牛車などは牛の尻を竹の指揮棒で叩き、わき道に追いやっていました。

やはり貫禄十分で、運転手達がワイワイ・・、ガヤガヤと喚いていたの
が静かになり、竹の指揮棒で動かない、運転手が眠り込んでいる様なト
ラックの窓を叩いて動かしているのが見えました。
バタバタと入り込んでくる三輪車のオート・リキシャーが蹴散らされ、
脇に並ばされ、竹の指揮棒がリキシャーの屋根をコンコンと叩いて動く
なと命令していました。
大型トラック群がゆっくりと動き出して私達が乗車していたSUVの車
もそれに付いて動き出しましたが、まさにインド式のコントロールと感
じました。
指揮官の警官は制服をキチンと着て制帽を被り、磨かれた革靴を履き、
腰には自動小銃を構えて、竹の指揮棒を持って流れ出した車の渋滞を見
ていましたが、インド社会ではトラック運転手などはサンダルで、Tシ
ャツ姿の格好ですから威厳が有ります。
私が混乱した渋滞現場を見ていて感じたのが、カーストから来る階級社
会の上下関係がはっきりとしていると感じました。牛車を引く農民、三
輪パタパタのリンタク屋、トラック運転手達、見物の近所の住民、指揮
官の下で走り回る警官達、全てが指揮官の命令で動き出したからでした。

それにしても田舎道で1km近くも渋滞で連なった車列を見ると、一番
多いのが大型トラックでした。これには少し驚きでした。

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