2012年9月17日月曜日

私の還暦過去帳(299)

『もと百姓が見たインド』

場内を歩き出してその壮大さ、規模の大きさが分かりました。

かなりの年月を経て建築された遺跡です、当時は機械と言う便利な物は
少なかったと思います。精巧に刻まれた石肌の彫刻とその模様がライト
に照らされて幻想的な模様を作り出している様子が覗えます。

1500年の時間を経て現在時間に再現されて我々の前で見る事が出来
ますが、このアジャンター石窟群の中に有る、代10窟の石柱にこの遺
跡を発見して世に広めたイギリス人の落書きが残っています。案内人の
懐中電灯で、それを目視することが出来ました。

彼の名前はJohn Smith氏で彼はベンガル虎の狩猟に来て、河
を伝って案内人と歩いて来て発見したと記録されています。落書きの様
子は『ジョン・スミス、第28騎兵隊、1819年、4月28日』と書
かれている、当時は薄暗い洞窟の中に1,5mもの土が堆積して居たと
言うことで、石柱のかなり上部にサインが見えました。

私は入り口でガイドを個人的に雇いましたが、その説明が無ければとて
も探して見ることは不可能だったと思います。第1窟は釈迦の本尊を中
心にかなりの色彩画と彫刻が、左右のかなり大きな部屋の両側に見られ、
両側の壁の中に作られた小部屋は僧侶達の寝起きする部屋だったと説明
を受けましたが、畳2程度の小部屋で 石の寝台が両側に有るだけでその
当時の僧侶の厳しい修行の姿が感じられました。

紀元前1世紀頃の前期石窟と後期の紀元5世紀頃の石窟とに分かれます
が、全部で30有ると言われる石窟の中で、前期は5つの質素な石窟で
す、後期と比較するとそれが一目瞭然と分かります。ガイドの説明を聞
いてその時代的な差と、仏教のテーマとする石窟を飾る 詳細な壁画とも
関連して、5世紀頃にインド文明が花開いた黄金時期と重なり、後期石
窟の壮大さ華麗さが見る者の心に圧倒的な印象を与えてくれます。

本で読んだ事が頭によみがえり、これだけ栄えた仏教文明の石窟群が
ブァーカータカ帝国の崩壊と共に、この巨大な遺跡が放棄されて時代の
闇に眠ることになった事は、いまだに謎とされています。
多くの学者が推測を語っていますが、多くの僧侶達や、職人、工事関係
者などが一度に消えてしまった事はブァーカータカ帝国の崩壊と共に起
きた戦乱が原因と言われ、その後、寺院窟は千年の眠りで、ワーグラー
河の河畔でジャングルの中でひっそりと隠れていたのです。

その密林の中からイギリス帝国植民地軍の兵士により発見されるまで、
歴史が止まっていたのでした。世界遺産として現在は世界中の人々が訪
れる場所ですが、歴史をこれだけ感じさせる場所は余り無いと思います。

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