2012年9月15日土曜日

私の還暦過去帳(298)


『もと百姓が見たインド 』

正月2日は朝、6時半には起きて仏教遺跡見学に行く用意をしていました。
車が7時半に迎えに来ると言うので、それまでに朝食も済ませていました。
私達が泊まったホテルは3星程度のホテルでしたが、日本人も二組会いま
した。いずれも女性で一組はすでに昨日、遺跡見学をして来たと話してい
ましたが、バスがオンボロで、とても寒かったと話していました。

私達が新車のトヨタSUVの車で、運転手付きで行くと話したら、羨まし
いと話して居ました。インド相場で1日、100ドル程度です、4人でし
たら完全に安くなります、彼女達はバスで住復20ドルほど掛かったと話
していましたので貸切でしたら4名が便利で安く、楽チンに旅行できると
思いました。
トイレも声を掛けると直ぐに綺麗で便利な場所に止めてくれ、アウランガ
バードからアジャンター窟院群の遺跡に行くまで、一台も追い越されなか
ったのには驚いたが、若い運転手でインドのローカル音楽をCDで聞かせ
てくれましたが、何かその旋律までが、街道に綿クズが所々にちらかる田
舎の風景とマッチして、南インドの光景を見た感じでした。

その地域では綿の収穫が終わり、その綿を満載で走るトラックと行き交い、
道端には砂糖キビの山を積み上げた牛車が並んで、それをトラックに積ん
でいました。田舎の街道を走ると牛車とヤギと、ラクダが引く荷馬車が交
差する道脇で、工事が行われていましたが、光ファイバー・ケーブルの埋
没作業でした。
最先端のケーブル事業と日本では当の昔に消えて見られなくなった光景が
共存して、インドならでの光景を作り出していました。余り人影も無い地
帯を通過する時に、サリーを着てサンダルを履いて頭に荷物を載せて歩い
ている婦人を見ましたが、よく見ると近くにケーブル工事の飯場らしきテ
ント小屋が有り、資材のケーブルの山が有りました。

その黄色や赤や緑のパイプの原色の色合いが、何かインド風な景色にマッ
チして、サリーを着た婦人が同じ色合いの模様を着ていたので、ふと・・、
見入っていました。車は11時前には到着しましたが、途中峠を超える時
に、山間の坂で大型トラックが綿の梱包を満載して崖に転落していたのが
見えました。
アジャンター窟院群は世界遺産に登録され、世界中の人々が見学に来てい
ますが、その価値は十分に有り、仏教寺院遺跡の中でも5世紀半ば頃にイ
ンド文明が開花した時期に、その当時の最高技術を用いて、造営された
アジャンター仏教石窟群は世界遺産として自分の目で見て、改めてその素
晴らしさを心感じました。

子供の頃に図書館で見た仏教遺跡の写真を思い出して、我が手に触れて、
おそらく二度と来る事は無いこの遺跡に、過去の重いと重なり、石窟の中
に作られた仏の石像を見て、手を合わせて祈る我が姿に、思いは『よく念願
が、かなって来た・・・』と言う幸せでした。
またこの様な石窟を緻密に細工に彫り上げた執念は、ただただ驚くだけで、
宗教に対する思いが、人々の心をいかに情熱の火に駆り立てるか思い知っ
た感じでした。
遺跡の中には特定のバスでしか入る事が出来ませんが、乗ってきた車を降
りて家族で身軽ないでたちで見学に行きました。各自、ボトルの水も持参
で、かなり歩きますが先ずは遺跡の入り口に立って、体から興奮の震えが
こみ上げて来ました。

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