2012年9月11日火曜日

私の還暦過去帳(296)


『もと百姓が見たインド』

南インド料理のレストランの帰りに、運転手が市内を少しドライブ
してくれました。時間的にも早いので、田舎町といえどもインドです、
かなりの人が街頭を歩いていました。

ニュー・デリーは車が多かったのですが、そこはオートバイの数が
凄いのには驚きました。市内だけですが、それに3輪のパタパタが
走り廻り、喧騒の街中で綺麗なビルが有りましたので聞くと、私立
の病院で長期滞在型の外国人向けの病院と聞いて驚きました。

アメリカ人も来ていると話していましたが、ヨーロッパ人が多い様で
した。それにしても、インド人がハイテク技術や医療関係でアメリカ
国内でも多くの人が働いています。医療関係などで、医者はインド国
内で医者の免許を習得したら、アメリカでもう一度、医者の免許試験
にパスすればアメリカ国内で仕事が出来るので、英語での教育を受け
てきたインド人からしたら、難しくはないと感じます。

二ユーヨークでは40%近い率で医者がインド人と聞いたことが有りま
す。アメリカからインドに戻り、病院を開業している人も沢山居ると
次男が話してくれましたが、次男が合気道の練習中に指の筋を切り、
その手術をしてくれた医者もアメリカ帰りと言っていました。

そのレベルも高く、最新の医療施設で応対してくれ、完全に次男の指も
完治しています。
私もテレビで見たのですが、キューバでもその様な患者を受け入れてい
ると見た事が有りますが、インドで、それも田舎の都市で、同じ様な病
院を開業していたとは少し驚きました。

そこの病院を見てからインド・サリーの服地製造の仕事場を見に寄りま
した。早く言えば製造販売の直営店でしたが、時間的に遅かったので年
寄りの老人が一人で絹地に模様を入れながら機を織っていました。

細かな繊細な仕事です、手間の掛かる仕事は1ヶ月も織ると話していま
した。丹念に見せてくれましたので、帰りにチップを20ルピー握らせ
ると、機を織る手を休めて、布地を広げて見せてくれましたが、薄暗い
電球の下で、金糸がキラメク様に光っていました。

おそらく金持達しか購入出来ない価格と思いますが、優雅な模様のサリー
を着れるご婦人の姿は、さぞかし素晴らしいものと考えていました。

インドでは階級差と貧困の差が極端ですが、その下で働く多くのインド
人がインドの下支えとなり、現在の発展するインドを作り出したと感じ
ます。
帰り道に街道に出ると、TATAの大型トラックが隊列を組んで何台も
荷物満載で通過して行きました。
南インド地方で収穫が終わった綿の梱包が見られ、何処かの港まで運ば
れていくと思いました。

その夜は明日の早起きを考えて、直ぐにシャワーを浴びてベッドに入り
ました。

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