2012年9月1日土曜日

私の還暦過去帳(292)


『もと百姓が見たインド』

今回のフライトはチャイナ・エアーラインに搭乗いたしましたが、先ずは
合格の飛行でした。台北経由で、そこまでサンフランシスコから直行で飛
びますのでかなりの搭乗時間でした。季節の気流の状態によりますが13
時間は確実に掛かります、先ず出発カウンターで8割までがインド人と思
いし人が並んでいます。

年の瀬も押し迫った30日です。出発が12時15分とか真夜中の搭乗と
なりましたが、チックインで並んでいる周りのインド人に聞いたら、親戚
の結婚式で帰省するのが一番多いようでした。前に居た家族連れもインド
のパンジャブ州に帰ると話して居ましたが、同じく結婚式に参加すると言
っていました。

到着して、デリーから6時間もバスで走ると言う事で、小型バスを貸切っ
て家族と大きな荷物を載せて帰宅すると話していましたがアメリカに33
年も住んでいると言う事で、インドには遊びに帰るだけと話していました。
もうインドには帰れないし、生活も無理だと言っていましたが、到着して
私の妻が荷物が出て来るまで、近くのトイレに奥さんと入った所がインド
生まれなのに、これがインドを実感させると話していた様です。

アメリカに永住すると話していましたが、今では医者、IT関係や多くの技
術者がアメリカで働いていますので、これからますます、アメリカに腰を
落ち着けて彼等が伸びていくと感じます。荷物がベルトコンベアーで出て
来るときに、思わず驚いたのは荷物の巨大なトランクとその数です、重量
制限と考えていましたが、ズンズンと搭乗手続きが済んで載せていました
ので、改めて流れ出て来るその荷物の多さに驚いて居ました。 私達夫婦
は僅かな手荷物と1個の大き目のトランクだけです、簡単に受け取りまし
て外に出ました。

そこには次男と彼女が迎えに来ていましたのであれよ・・言う間にスズキ
の軽ワゴン使用のタクシーに乗り込みアパートに急ぎました。驚いた事に
プロパンガスのエンジンで走っていましたが、軽の自動車ですから振動と
音がうるさくて、それがチョロチョロと道を走りますので次男のアパート
に到着するまでドキドキでした。 途中で乗り合いバスがバス停に割り込
まれた車で、止まることが出来ずに道路の真ん中で停車してお客を乗降さ
せていたのには驚きでした。

それでも何事もなくお客が歩道まで歩いて、スイスイと車を縫う様に事を
済ませて居るのには、このくらいでインドの交通事情に仰天していたら、
私の心臓が止まるか、悪くなると感じます。例の如くその車の僅かな空間
で芸をして小金を要求する子供達が居たのにはもっと驚きました。
なにせ、その芸と言うには二人が太鼓を叩いて、一人がトンボ返りを見せ
るという離れ業です、いつ車がドーッと動き出すか分からない状態ですか
ら、ヒヤヒヤで見ていました。

それにしても道はいくらか良くなったと感じますが、なにせ増え過ぎた車
両がひしめき合い、怒鳴り合い、警笛鳴らしっぱなしで、我勝ちに突進す
る様は交通ルールなどお構いなく、そこに3輪のパタパタやオートバイが
我勝ちにその隙間に割り込んで来ますので、目が丸くなるより先に、埃と
排気ガスを避ける為に、タオルで顔を隠すようにして呆然としていました。
今回も最初から、これがインドと言う事をしみじみと実感させられました。

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